前編 ‖ 後編

「もうと〜っくに戻ってたりして」
 ね?と小首を傾げ、水に濡らしたハンカチをひらひらと扇がすしのぶ。見るところ、ハンカチはだいぶ乾いているようだ。冷たい廊下に肢体を横たわらせた面堂は、その体勢のまま器用に、ぴょんっと飛び上がった。
「し、ししししししししのぶさん!い、いつからそちらに?」
 さあねえ〜。すっとぼけた態を装って、しのぶは面堂の前に屈む。面堂はじりっと後退さった。その分、しのぶは膝をずいっと寄せて、また距離を詰める。程度の低い兄妹喧嘩という醜態を見られたこと、思い返していた大晦日での不謹慎な情欲に、倒れたフリをしようとしたこと等への羞恥心と罪悪感から、しのぶに対し、どうも退け腰になる面堂。
 これではいかん。面堂はきりきりきりっと顔を引き締め、しのぶの肩にぽん、と手を置いた。
「しのぶさ、」
「あらあら!お似合いねえ、そのお化粧」
 しのぶに指摘され、はっと頬に手をやる面堂。しのぶはすかさずささっと、面堂に手鏡を渡す。ありがとうございます、と礼を言う(いとま)も与えられず、面堂は手鏡に映る、己の間抜け面に釘付けになった。
「あ゛〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
「ほんっと〜に、とってもよくお似合いよ!面堂くん!」
 両手を重ねてしなをつくり、にこにこと平和そうに笑うしのぶ。一方面堂は屈辱と憤怒でぷるぷると震えている。
「おのれ!了子めっ!」
 すっと日本刀を腰から抜き、高ぶる闘志の儘よ、と面堂は拳固く立ち上がった。
「ちょっと待ちなさい」
 ふうっと溜息をついて、しのぶは面堂の肩を押しとどめた。面堂は血の上った頭を更にかっかさせ、しのぶに振り返った。
「しのぶさんっ!これはぼくと了子、兄妹間の問題です!」
 とめんでください、と額に青筋を立て鼻息荒く、息巻いている面堂を遮り、しのぶは「そうとも言い切れないのよねえ」と、ヤレヤレ疲れた態で首を振る。面堂は日本刀を腰におさめ、廊下に膝を折った。
「どういうことです?」
 しのぶが面堂に続いて、冷たい廊下に腰を下ろすと、まだどこかに潜んで覗いていたらしい、了子の黒子が襖から出てきて、座布団を差し出した。
「あら、ありがとう」
 しのぶがにっこりと礼を述べると、黒子はお辞儀をして素早く去っていく。面堂が「ぼくの分はないのか!」と黒子に向かって文句を投げかけるも、虚しく宙に消えた。
「なんてことだ!客人をもてなすまではよいとしても、面堂家次期当主のこのぼくが、直に床に腰を下さんとするのを見て、何も感じることがないとは!やはり了子の黒子!教育がなっとらんな!」
 悪態をついてしのぶに向き直ると、しのぶは真っ直ぐ射抜くような視線を面堂に向けていた。面堂はたじろぐ。
「さっき面堂くん、了子ちゃんがあっさりと………あっさり、なのかしら」
 しのぶが首を傾げる。面堂はそんなしのぶに「了子にしては」と同意する。そうなの、としのぶは頷き、面堂が日頃受けているだろう、妹による愛らしい悪戯の数々を想像し、淡い同情を寄せた。
「まあ、それほど悪ふざけするでもなく帰っていってよかったって言ってたじゃない?」
 側に誰もいない、と考えて口にした独り言について指摘され、気恥ずかしく感じながら、「ま、まあ…はい」と、面堂はまごついて答えた。しのぶはそんな面堂に構わず続ける。
「それはね、あたしが戻ってきていたのを知ってたからよ」
「そうか、だから了子は去り際、手榴弾を投げなかったのだな。しのぶさんがいたから…」
 ううむ、と納得する面堂に、しのぶはそうそう、と頷いた。
「了子ちゃんはね、面堂くんをいたぶるのが楽しくて楽しくて仕方ないんだろーけど」
 しのぶが「その気持ちわかるわ」と実感込めて言うのを、面堂は冷や汗を伝わらせた。
「あの…」
「でもね。そのお楽しみを我慢して、あたしのために残しておいてくれたのよ」
「はい?」
 話の流れについてゆけず、間抜けな表情を晒している面堂を、しのぶはきっと睨め上げた。面堂は思わず後退る。
「面堂くんって、本当に本当に!女の敵だわっ!」
「待ってください!しのぶさん!なにか誤解されているんじゃないですか?ぼくはいつでも女性の味方です!」
 女の敵とは、この文句にはさすがの面堂も反論しないわけにはいかない。面堂の人生でそんなことは一度たりともないはずだ。愛されて愛されすぎて全ての女性の気持ちに応えるわけにはいかず、ぼくはいったいどうしたらいいのだろう…という意味でならば、まあ頷けるけれど。
 いやあ、ぼくのために女性が不幸になるのを見るのは誠に忍びなく耐え難いことではあるのだが、致し方ないと言えよう。なぜなら悲しいかな、ぼくの体と心は………心は一つではないかもしれんが…、ともかく体は一つしかないのだ。
「セクシーなフェロモン系の女性の、ね」
 ジトリとしのぶは面堂を横目で流し見する。面堂は戸惑った。そりゃあフェロモン系の女性は、はっきり正直に言って、かなり非常に素晴らしく好みだ。ラムやサクラのような美しいプロポーションは、女性の美しさを余すところなく表現していると断言するくらい、好みだ。好みという以上に女性の理想そのものだと言っていい。いや、そう思っていた。
「ラムは一人だけでも魅力的よ。わざわざ引き立て役なんか、作ることないじゃないの」
 威勢よく怒鳴りつけんばかりだったしのぶの声量はフェードアウトしていく。そんな陰険なやり方しなくったって…、という最後の方の台詞はほとんど消え入りかけている。
 なんとな〜くどことな〜く面堂にもようやくではあるが、事のあらましが見えてきたように思われた。それがわかると、面堂の口元はいけない、とわかりつつも緩んでしまう。
 プッ。
「引き立て役って誰のことです?」
 ほっと安堵したのとしのぶの(おそらくは)嫉妬がいじらしく可愛らしいのとで、笑い出したいのをこらえて言う。そのおかげでプっと噴き出すのを抑えきれずに少しばかり漏らしてしまったし、面堂の声色は少しばかり意地悪な色合いを含んでしまった。しのぶは傷ついたのが傍目によくわかるほど、瞳を大きく揺らした。
「そういうところが陰険って言うのよっ!」
 そう叫ぶと、しのぶは顔を覆って声を上げて泣き出した。面堂が慌ててしのぶの肩に手を伸ばす。
「しのぶさ、」
「さわんないでよっ!」
 バシっと面堂の手を払い落とすしのぶ。面堂はむっとする。
 しのぶが肩に置かれた手を払いのける。それは、しのぶが幼馴染みに対する反応だ。面堂にとって心底認めたくないがなぜだかいつのまにかそういう関係のようであると見なされるようになってしまい、するがうちに己自身そのように思わんことも無きにしも非ず、しかもそれは相見えて早々ラムの星占いによって裏打ちされてしまった(ラムには口外せぬよう懇願しておいたからおそらく他の者は誰一人としてこの重大な秘密を知るまい)という実に不名誉な、面堂のもう一人のライバル、諸星あたるに対するしのぶの反応だ。
 悔しそうに唇を噛んで泣き声を噛み殺すしのぶに、面堂は少しばかりむすっと不機嫌な声色で反論する。
「しのぶさん、もうちょっと冷静になられたらいかがです?まるでぼくが諸星であるかのようではないですか。それにぼくの手を払いのけるなんて」
 このぼくの手を払いのけるなど。
 しのぶがそんな態度を面堂にとるのは初めてだ。しのぶだけじゃない。だいたい女性にそのような態度を取られること自体、面堂にとっては珍奇なことであり不名誉極まりなく、自尊心が傷つけられる。このような態度を面堂に対してとることができるのは、養護教諭兼巫女のサクラともう一人…。
「ラムさんでもあるまいし」
 しのぶの涙に濡れた目がぎらりと強い殺気を含ませて光った。
「こおんぬうおおおお…!」
 面堂がついぽろりと出た己の失言に、口を手で覆ったときには遅かった。しのぶの前では、いつも張っている虚勢やなにもそこまで、というほどの女性優遇の気遣いをついぽろり、無意識のうちに忘れ落としてしまうことがある。そのことに気がついたのは最近のことだ。気付いてすぐは、他人に、それも女性に甘えるという認めがたい己の醜態を引き出していくしのぶに、見当違いで手前勝手な恨みを抱いたものだが、しかし面堂は考えを改め気付くことができないほどアホウの抜け作ではなかった。そしてしのぶの前ではつい制御し忘れて出てくる幼稚な、母か姉に対するような反抗・反発を、少しならば解放してもよしと許した面堂だが、それを今ほど後悔したことはない。
 ぬおおおおおおっと野太い唸り声をあげ、しのぶが面堂の胸倉を掴み上げる。面堂のつま先が宙に浮く。
「しっしのぶさん!落ち着いてくだ、」
「インケン男ぐわあああああああ〜〜!」
 男ぬわんてえっ!しのぶは叫ぶと、面堂がまたもや廊下の向こう彼方へと勢いよくすっ飛んでいく。今度は壁も突き抜けた。
 はあはあ、と激しく肩を挙上させると今度こそしのぶは面堂を放って歩き出した。どうせ先のことだって、わざわざしのぶが戻ってくるまでもなく妹の了子と仲良く兄妹喧嘩に興じていた。
 しのぶの背後では、どさどさっがたがたっぐしゃっぼろっぐわあ〜〜んん…という、様々な擬音が繰り広げられていた。

◆ ◆ ◆


「しのぶはどれにするのけ?」
 しのぶと了子で完璧に着付けた振り袖姿のラムは、ご機嫌な様子で尋ねた。了子はラムの髪を結うのに用意し使わなかった鼈甲の櫛飾り等、余りを箱に仕舞いかけていたのだが、その手を止めて振り返る。
「うちを綺麗に着飾ってくれてありがとうだっちゃ。お礼に今度は、うちがしのぶの着物を選んであげるっちゃ!」
 よ〜し、などと言いながら目を輝かせ腕をめくり上げ品定めを始めるラム。ふよふよと辺りを漂ったかと思うと、これなんかどうけ?とラムが一枚の着物を掲げた。着物の柄は、ラムの一張羅、トラ縞ビキニの模様によく似たトラ縞であった。心なしかキラキラと照明を浴びて光っているような気もする。
「それはちょっと…」
 ハハハ、と苦笑いするしのぶに了子も頷いた。
「わたくしもそれは少々アバンギャルドに過ぎるかと、衣装庫に眠らせておいたものですわ」
 おにいさまがこの前のお誕生日に、折角買ってくださったのですけれど。溜息を混じらせた了子の言葉。
「えっ!?面堂くんが?」
 しのぶは驚いて勢いよく了子へと振り返る。了子は目を閉じふうっと切ない溜息をつき、憂いを帯びた横顔をしのぶとラムに見せた。
「おにいさまのお好みらしいですわ」
 しのぶは絶句した。トラ縞模様の着物とは悪趣味に過ぎる。それもラメ入りだなんて。まるでマツ○ンサンバの踊る侍が身につけている衣装のようではないか。マ○ケンサンバブームは、今やだいぶ落ち着いたというのに。
 了子はしのぶの驚愕した表情に同情を寄せ頷いた。
「それにおにいさまったら、本当にフケツなんですのよ!この前黒子達に命じてサングラス部隊を脅迫し、おにいさまの部屋のあら探しをさせたときだって…」
「いつもそんなことしてるのけ?」
 終太郎がかわいそうだっちゃ、とぼやくラム。しのぶはラムの意見に頷きつつも、うずうずと了子に先を促した。
「それで?」
 了子はラムに「だっておにいさまったらフケツなんですもの」と言うと、しのぶに向き直った。
「わたくし驚いてしまいましたわ!おにいさまがあっんなにフケツなものを持っていらっしゃるなんて!」
 いやいや、と顔を両手で覆い頭を振る了子にしのぶはじれったくなる。
「だからなんなのよっ!」
 声を張り上げるしのぶに、了子は顔を覆っていた両手を外す。いやいやっとカマトトぶっていたはずの了子はころっと真剣な表情になる。
「それはですね…」
「それは…?」
 ごくり、と唾を飲み込んで深刻に眉をひそめる了子を見つめるしのぶ。
「どうせポルノだっちゃ!」
 あっけらかん、と言い放つラムに了子は目を丸くした。しのぶはそんな了子の様子を見ると、慌ててラムに詰め寄る。
「ちょっとラム!あの清潔で爽やかな面堂くんが、そんないやらしい本なんか見るわきゃないでしょっ!」
「その通りですわ!」
「ほ〜うら見なさい、ラム。失礼じゃないの!」
「いえ、そうではありません。ラムさんの言う通りなんです」
 あんた了子ちゃんに謝りなさいよ、と息巻いていたしのぶはぴたり、と動きを止め、人形のような妙に無表情な面構えで了子を振り返る。了子は胸の前で手を組んでいた。
「ラムさんの言う通りですわ、しのぶさん。おにいさまはベッドの下やテレビの裏、絵画と額の間、押入の中、机の鍵の掛かる引き出しの中等、いまどき中学生でも隠さないような低レベルな隠し場所に、たくさん隠されていましたわ!」
「同じくらいのアホでも、ダーリンはもっとわかりにくい場所に隠すっちゃ。うち、一度も見つけられたことないっちゃ」
 何度も探したのに、と悔しがるラムの傍らでしのぶは呆然とした。
「た、たくさん?」
「たっくさん!」
 ひくひくと口の端を歪ませるしのぶに、了子は力強く頷く。
「それもおにいさまの持ってるコレクションは全部、『グラマーでセクシーなぼいんぼいん』な女性が載っているものばかりですわ!たとえば…そうですね…」
 了子はキラキラと瞳を輝かせて自分を見つめるしのぶをじっと見たかと思うと、ふっと溜息をつき首を振った。しのぶはがっくりと肩を落とす。そりゃあ、自分が『グラマーでセクシーなぼいんぼいん』な女ではないことくらいわかっている。どちらかといえばそれは…。
「そうですわ!ラムさんのような!」
 了子はしのぶから視線を外し彷徨わせると、ふわふわと着物の上に浮いてしのぶの着物を選んでいるラムに目をとめ、嬉しそうに手を叩いた。途端、しまった、というように手を口にやる。
「…そう。ラムみたいな」
 そりゃそうよね。だって面堂くんは初めてラムを見たとき、あんなにも釘付けになってじゃない。わかってたことでしょ?しのぶ、としのぶは自嘲する。
 珍しいことに了子が少しばかり慌てた様子で取り繕う。
「でもしのぶさん!しのぶさんはおにいさまから着物を贈られたのでしょう?サングラス部隊に吐かせたところ、そう申しておりましたもの!おにいさまのお好みの、セクシーなお着物なのでしょう?」
 それをお召しになっておにいさまを悩殺すればよろしいのです、と了子がにっこりと微笑む。ラムは了子の言葉を聞いて嬉しそうにしのぶに詰め寄った。
「本当け?しのぶ!よかったっちゃね、しのぶ!」
 ラムは自分のことのように喜んでくれている。しのぶは力なくラムに微笑み返した。ラムは純粋に心から喜んでくれている。長い片思いをしていたしのぶにようやく面堂が振り返ってくれたのだと、しのぶが昨日までそんなふうに自惚れていたようにラムも早とちりして、喜んでくれている。
 しのぶはしかし、はっとして了子に振り返った。
「サングラス部隊の方たちから聞いたってことは…」
「もちろん、他にもいろいろ」
 了子はにっこりと請け合った。しのぶは「今年はひっそりと大晦日をこの別邸で過ごすつもりです。よ、よ、よよよよよ宜しければしのぶさんも……もちろん、家族の誰にも知られぬよう手配させます!特に了子には!」という面堂の言葉を思い出す。『特に了子には!』の部分に差しかかると、面堂は拳をきつく握りしめていたのだが。どうやら『家族の誰にも知られぬ』ことは無理だったようだ。
 ラムは興味深げに了子としのぶの顔を交互に見比べて聞いていたが、了子がそんなラムに気がつき「ラムさんちょっと」と呼び寄せる。しのぶは訂正したり邪魔立てしたりといった気概が沸かず、他人ごとのように二人を眺めていた。二人は楽しそうにきゃっきゃっと笑いあっている。
「で?どんな着物だっちゃ?」
 ラムは一通り了子から話しを聞こえると、ニタニタしながらしのぶの方へやってきた。しのぶは思わず、脇に寄せていた桐の衣装箱を後ろ手で押しやる。松金具のついた、見るからに高価そうな品の良い衣装箱。ラムはそれを見咎めて手を伸ばした。
「これけ?しのぶ」
「違うわっ!」
 しのぶは思わず大声を張り上げ、伸ばされたラムの手を押しのけた。ラムと了子が驚いた顔をしてしのぶを見つめる。しのぶははっと我に返り、わざとらしく溜息をついた。
「この着物はあたしの、自前の着物!着物を贈ってくれるのは嬉しいけど……まったく、面堂くんの好みとやらにも困っちゃうのよね!」
「悪趣味だったのけ?」
 伸ばしていた手を引っ込め首を傾げるラム。しのぶは疲れたようにふう〜っと大きく溜息をついた。
「悪趣味も悪趣味!も〜ひっどい悪趣味だわよ。なんたって了子ちゃんに、ラム。あんたが選んだトラ縞の着物を贈るようなセンスなのよ?」
「とってもいいセンスだっちゃ!」
 堂々と胸をはるラムに、しのぶは胡乱な目つきで指を突きつけた。
「そう思うのはあんたと面堂くんだけよ!あたしは清楚で気品のある着物が好きなの!着物ってのはそーいうもんでしょーが!それに大体、あたしの魅力ってのはね〜え?清純なところにあるのよ!」
「しのぶは地味で色気が足りないから、少しくらいセクシーな着物の方がいいっちゃ!終太郎もきっとそう思って…」
「とにかくっ!」
 反論しかけたラムを遮り、しのぶは衣装箱から乱暴に着物を取り出した。ばさっと淡い水色の振り袖がラムの顔を覆い、ラムはうぷっと呻いた。
「なにするっちゃ!」
 下へむかうにつれ藤色、桃色と淡く色づいていく着物を手で覆いのけるとラムはしのぶに噛みついた。当然だが物理的に噛みついたわけではない。食ってかかった、ということである。いやいやこれもまた物理的に食ってかかったわけではない。
「あたしはあんたの言うところ、地味〜で色気のない、この常識的な着物を着るのよ!非常識なギンギラ着物じゃなくてっ!わかったっ?!」
 ふんっと鼻息荒く宣言するしのぶに、ラムは「せっかく終太郎がしのぶのためにつくってくれた着物なのに…」とぶつくさ言う。しのぶはだってしょうがないじゃないの、とラムを睨め付ける。
「いくら面堂くんからの贈り物でも、キワモノを着るつもりなんかあたしにはないわ。あたしはなんてったって、清純派なんですからね!」
「だからしのぶは色気がないっちゃ」
「もうっ!いいからあんたはあたるくんに晴れ着姿でも見せに行ってきなさいよ!」
 やれやれ、とラムは肩をすくめて廊下へ出ていった。ラムが飛び去る後ろ姿を見送ると、しのぶはうつむいて淡い水色の着物を握りしめた。面堂が誕生日プレゼントにと可愛がっている妹に贈ったのは、ラムの身につけているトラ縞ビキニとよく似た模様の着物。
 やっぱり面堂くんは悪趣味だ。しのぶはぎゅっと目を瞑る。
「お着物、お召しになるのでしょう。わたくしお手伝いいたします」
 了子は衣装箱からするすると浅黄蘗色の長襦袢を取り出した。

◆ ◆ ◆


「というわけですのよ、おにいさま」
 黒子達がノびた面堂の前、人形劇を披露する。ちょうど今チョチョンがチョン、という柝の打たれる拍子音と共に幕が下りたところで、面堂は「なんと…!」と呻いた。了子はまたもや面堂の腹上に座布団をひき、悠々と座っている。
 了子は口元を覆い扇がせていた扇子をぱちん、と閉じると面堂の鼻先につきつけた。
「おにいさま!どういうおつもりですか?」
「どういうつもりとは、どういうことだ」
 面堂は了子を睨み返す。
「とぼけるおつもりですか?わたくしにはトラ縞模様の着物を贈りながら、なぜしのぶさんにはあのような…」
「うるさい!そんなことはおまえだってすぐにわかろう!」
 面堂は恥ずかしく思う気持ちからなのか怒りからくるものなのか、顔を赤らめて反論した。了子はおや、という顔つきで兄を見る。そして可笑しそうに嗤った。
「ということは、おにいさまはやはり女の敵ではなかったということですわね?」
「当たり前だろう!それより!ぼくとしてはおまえがぼくの部屋を勝手に盗み入って家捜しをしたということの方が…」
 そこまで言って面堂ははっと気がついた。
「了子!おまえ、そのことをしのぶさんに言ったのか!」
「ええ。ちゃーんと伝えておきました。おにいさまが『グラマーでセクシーなぼいんぼいん』な女性ばかりをお集めになった、いかがわしい雑誌を持っていらしたこと」
「おまえのせいではないかあああああああ〜!」
「まあ見苦しい。わたくしに責任転嫁なさるなんて。ご自分でお集めになったくせに」
 しれっと言い放つ了子に、面堂はひょっとこの仮面をつけてぷんすか怒鳴り散らした。
「うるさいうるさいうるさいっ!おまえがそんなくだらんことを告げ口せねば、ややこしいことにならずに済んだのだ!」
「なにをおっしゃるのですか、おにいさま」
 了子はすっと目を細めた。面堂は急に『しりあすもーど』に切り替わった了子にたじろぐ。
「元はと言えば、おにいさまがはっきりなさらないのがいけないのではなくて?しのぶさんに正直なお気持ちをお伝えになったことはありますか?あるのならば、なぜしのぶさんはあれほどまでに不安になる必要があるのでしょう?」
 面堂はぐっと押し黙る。了子はどう?どうなんですか?と扇子で面堂の額をちょいちょいぽこぽこと叩いたりつっついたりしている。
「…恩に着るぞ!了子!」
 面堂はそう言い捨て立ち上がり、腹上の了子を廊下に転がした。「あれ」と転がる了子を振り返ることなく、面堂は一目散に駆けていく。黒子達が「了子さまっ!」と寄ってきて転がった了子に手を差しのべる。
「一つ貸しですわよ、おにいさま」
 さて帰ってきたらなにをお強請りしよう、どんな悪戯をしよう、と了子は胸を弾ませた。

◆ ◆ ◆


「ダーリン、もういい加減行くっちゃ」
 玄関先で寒さにぶるぶる震えて垂れてくる鼻水をすすりながら面堂としのぶを待って小一時間。あたるとラムはこっそり隠れながら様子を窺っていた。
「行くなら一人で行っておれ!おれはここで何事か起こっておるのか見届ける義務があるんじゃ!」
「そりゃーうちだってしのぶと終太郎がどうなってるのか知りたいけど…」
 でも、とラムは内心拗ねた。ラムだって旺盛な野次馬好奇心も、友人として見守りたい気持ちもある。しかしそれ以上にあたると二人っきりで初詣だってしたい。新年を迎えて一日目、大好きな人と今年一年の平穏無事を祈るのだ。家内安全、無病息災、願わくば二人の関係の更なる発展を。他人の色恋以前に、まずは自分たちの地盤固めが必要だ。
 ラムは唇を尖らせる。
「も〜ダーリンしつこいっちゃ!今日じゃなくても、終太郎としのぶのラブシーンなんてサクラとつばめ以上に、そのうちいくらでも見られるようになるっちゃ!」
 その台詞にあたるは驚愕し、ぶんっと音がなるほど勢いよくラムに振り返る。
「なんだと!しのぶはとうとう面堂の毒牙にかかったというのか!」
「…逆だと思うっちゃ」
 呆れてぼやくラムに「しのぶ〜しのぶ〜!」とどこぞの某高校総番よろしく、鬱陶しく泣き伏すあたるの目の前でガラガラっと引き戸が開く。ラムとあたるは見事な瞬発力を示して塀の裏に飛び込み隠れた。
「似合ってたのにね、面堂くん」
「勘弁してください。あんな落書きをされたまま外に出ては、新年早々物笑いのタネになってしまいますよ。しのぶさんだって嫌でしょう、そんな男の隣りにいるのは」
 うふふ、と笑って袖を口元にやりしのぶが言う。面堂はしのぶを見下ろして拗ねたような口振りで返す。その様子はしのぶに心を許し甘えているように見えなくもなかった。あたるは小声で「気色悪い!」と罵る。ラムはじとっとあたるを睨んだ。
「あら、あたしは構わないわよ」
 くるり、と目を回しておどけるしのぶに面堂は目を見張った。
「だってそうなれば、誰も面堂くんをあたしから盗ろうなんてしなくなるんだもの!」
 にっこりと笑うしのぶに、面堂は顔を真っ赤にする。コホン、と空咳をすると面堂はしのぶの耳元に口を寄せる。しのぶは少し背伸びして面堂の言葉を聞き取ろうとする。ラムはぐぐっと身を乗り出してデバガメに精を出そうとする。
 と、その時。
「そこまでだっっっ!!!面堂!この悪党めっ!」
 でっかい木槌を手に塀から飛び出したあたるが、面堂の頭にそお〜れ、と木槌を振り下ろし、面堂はノびた。
「きゃあああっ!面堂くん!」
「この野郎!よくも!」
 ノびた面堂に向かって「よくもよくも!」とわめくあたるをしのぶが「なにすんのよっ!このバカッ!」と往復ビンタする。ぷっく〜と腫れた頬をさすると、あたるはしのぶの肩をがしっと掴み「しのぶっ!無事だったか!?」と涙をちょちょぎらせる。
「あんたって人はああああ〜!」
 ぶるぶる怒りに震えるしのぶの肩越しにラムがひょこっと顔を出す。
「あーあ、せっかくいいところだったのに。ダーリン、もうちょっと我慢ってものが足りないっちゃ」
 悪びれもなくしゃあしゃあと言うラムに「そうは言ってもしのぶの貞操の危機とあってはな!」と返すあたる。二人はしのぶを放ってギャイギャイと痴話喧嘩を始める。しのぶは握りしめた拳を頭上にかざしブンブンと振り回した。
「あっあんた達〜〜!いったいどっから覗いてたのよっ!!それに!痴話喧嘩なんかどこか余所で二人、勝手にやってなさいよっ!」

 参拝帰りの着物姿をした歩行人達が、怒鳴りあう男女三人とノびた袴姿の男一人の脇を通り過ぎていく。
 謹賀新年。友引町にも新しい年の訪れ。皆様、新年明けましておめでとうございます。賽銭寄付額首位は今年も二年連続で水乃小路家が飾ることになりそうでございます。

【了】



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