だって、おかしいじゃない?
 自分で言うのもなんだけど、あたしって結構可愛いと思うの。正直なところ、過去にあたるくんとつき合ってたのが一番の間違いというか、人生の汚点というか。そうよ。今思えばなんて早まったことを!悔やんでも悔やみきれないわ!
 …まあ、あたるくんとは幼馴染みだったし、そういう風になんとなく流れされちゃったのは仕方ないんだとしてもよ。やっぱり身近な異性って、手っ取り早いとゆーか、お互い気心が知れてるとゆーか…。…いいえ。これ以上、言い訳するのは情けないからやめとこ。若気の至りとはいえ、まあまあそれなりに楽しかったもの。
 でもね。あたしくらい可愛いくて清楚で控えめで可憐で女の子らしい子が、こんなに男運が悪いのって、絶対、絶対、おかしいわよ!これってやっぱり、”あの”諸星あたるの過去の女ってレッテルがいけないんだと思うの。
 そうでなければ、フリーのあたしに言い寄る男が――男として……いえ、生物として認めれば、の話だけど――化け物と変態だけだなんて、ありえないもの!


白ウサギさんたら読まずに食べた。


 ばこん。
 しのぶの手がピタリ、と止まる。くりくりと愛らしい、黒目がちの彼女の瞳は、じいいっと真っ直ぐ前を見つめている。左手で上履きの(かかと)部分をつまみ、浮かせる。しのぶの眉間に皺が寄る。それから、しのぶはちょっぴり屈んで、下から覗いてみた。
「おーっす。しのぶ」
「あ、あら。おはよう、コースケくん」
 ニッコリと笑顔を作って朝のご挨拶。しのぶは急いで上履きを抜き出し、下駄箱を閉めた。コースケが乱暴に下駄箱の取っ手を上げる。
「っと。なんだ?これ」
 コースケがピラリ、と抜き出したのは、白い封筒。ご丁寧にハート型のシールで封じられている。
「こ、こここここれは…!も、もしかして…!」
 コースケの口がニターっと吊り上がる。目がにゅーっとイヤらしい半月型に歪む。鼻の下がビヨーンと伸びる。手がぷるぷると震えている。しのぶはズイっと身を乗り出して、コースケの手の内のラブレターらしきものを覗き込んだ。女の子らしい丸文字がチマチマっと、奥ゆかしく名乗りを上げている。
「へえー。この子、一年生じゃない?ほら、あたるくんが前に、可愛いって騒いでた…」
「か、かわいいっ!?」
 コースケが勢いよく振り返って、しのぶの手を掴む。ラブレターがグシャリ、と潰された。しのぶはコースケの気迫に押されつつ、頷く。
「え、ええ。あたしはよく知らないけど、あたるくんが確か、そんなこと言ってたわ」
 そうだ。しのぶはよく覚えている。あれは入学式の日だった。あたるは、新入生チェックだとか言って、彼女であるしのぶを放って一年生の教室を訪ね回り、その日の放課後デートを台無しにしたのだ。
 しのぶの脳裏に、当時の記憶が鮮やかすぎるほど明瞭に甦ると、しのぶはギリっと歯噛みした。胸がむかむかする。あの最低男は、へらへらへらへら、女と見るや手当たり次第声をかけチョッカイを出し、そして振られ続け、全女生徒が下校してその対象がいなくなるとしのぶの元に戻ってきて「やっぱりしのぶが一番だな〜」なんて言った。
――なんであたしが、そんな扱い受けなきゃなんないのよっ!
 コースケは握っていたしのぶの手を離し、すざっと後退りする。コースケの目に映るしのぶは、まさに阿修羅・鬼神の類であった。
「そ、そうか!サンキューしのぶ!じゃ、また教室で!」
 そそくさと去っていくコースケの後ろ姿を、しのぶは暫く経ってから気づき、見送った。コースケには彼女がいるはずだった、としのぶは思い出す。そして溜息をつく。
「おはようございます。しのぶさん」
 しのぶの後頭部から、パコっ……どさどさどさどさどさっ、という音がする。しのぶは振り返る。
「おはよう。面堂くん」
 振り返ると面堂の足下に手紙が山積みとなっていた。山積みのラブレター(以外の、一部の男子生徒によるイタズラ・嫌がらせの類も無いわけではなかったが)の中、手作りらしきクッキーも見える。面堂は白い歯をキラリと光らせ、額に手をあてた。
「はっはっはっ。いやあ。毎朝困っているんですよ。鞄に入りきらなくて。はっはっはっ。お気持ちは嬉しいのですが、皆さん全ての方に応えるわけにはいかないでしょう。いやあ、心苦しくて心苦しくて」
 面堂は、その端正な顔をにへらっと崩して、足下のラブレターをさっさか掻き集めた。しのぶもしゃがんで手伝う。
「どーも、すみません。しのぶさグエッ!
 面堂の額が床にめり込む。その後頭部には、巨大なハンマーが振り下ろされていた。
「しのぶっ。爽やかな朝だネ」
 ぞわぞわっとしのぶの背筋に悪寒が走る。と同時に斜め45度上から電撃が降ってくる…だろう、としのぶは予想し、ウェストに頬ずりしているアホを引っぺがして下駄箱の影にさっと避難した。ぶぎゅる、と足下で何かを踏んだ感触がする。グエッと面堂が蛙のよーに鳴いた。
「ダーリン!!朝っぱらから何してるっちゃー!」
 ドバババッ!
 辺り一面に、まばゆい光が広がる。カッ!と目を潰さんばかりの強い光が、宙から矢のように降ってくる。
「「う゛ぎゃ゛あ゛〜〜〜〜゛」」
 さわさわひそひそと、昇降口は登校してきた生徒達の好奇心でざわめく。遠巻きに生徒達は、この日常的な超常現象を見守る。二人分の悲鳴が途絶えると、しのぶは下駄箱からひょっこり顔を出した。
「おはよう、ラム」
「おはようだっちゃ」
 ラムはこんがりと焼けた人影を見下ろすと、ふんっと鼻を鳴らし、ふわふわと浮きながら下駄箱を開けた。ラムが上履きを抜くと、人型の炭の上に白いものが落ちた。
「なんだっちゃ」
 ラムがふよふよと漂いながら手を伸ばす。差出人は…と、しのぶも覗き込んだところで、真っ黒焦げだったはずのあたるが、頭上の手紙を素早く手にした。あたるは差出人の名前にさっと目を走らせると、躊躇せずにびりっと封を開けた。ラムはあたるの背中から手紙を覗き込む。しのぶもあたるににじり寄って覗き込む。しのぶの膝にグニャリ、と何かが潰れる感触がした。
「『はじめましてラムさん。きっとあなたはぼくのことを知らないでしょう。ええ。知らないに決まっています。知っているはずがない!そうだそうだ!へへーんだ!うわーん!ラムさんのいけずううううう』………こいつ、アホと違わんか」
「きさまに負けじと劣らず、アホのようだな」
 面堂が頷く。炭と化し、しのぶの下敷きとなっていたはずの面堂は、いつの間にか起き上がっている。あたるがハンマーを構え、面堂が日本刀を抜く。きらり、と刃に青白い光が走る。
 ラムが面堂に電撃を落としたのだ。ぴしゃーん、と電撃が面堂に向けられるのを、近くで被害を被りそうなしのぶは、寸でのところで避ける。面堂は「ラムさん…なぜ…」と言葉を残し、ガックリとこうべを落とした。あたるはすっきりとした笑顔で「よくやった」とラムに振り返る。
「いいから、先を読むっちゃ」
 ラムがわくわくと嬉しそうにあたるの学ランの裾を引っ張る。あたるはラムをじろり、と睨むとヒクヒクとひきつり笑いを浮かべた。
「ほー。このたわけた手紙がそっんなに嬉しいか、ラム」
「嬉しいっちゃ」
 にこにことラムが笑う。あたる表情筋がますます、ピクピク不自然な痙攣を起こす。
「ホントの本当に、心の底から?」
「嬉しいっちゃ」
 あたるの顔からは、片側顔面痙攣が顕著に見られる。ラムはそんなあたるの顔を嬉しそうに何かを期待するように見つめる。
「浮気者」
 ぼそりとあたるが言うと、ラムは頬を紅潮させ、うずうずしながら両手を胸の前に組んで、あたるに詰め寄った。
「ダーリン、妬いてるのけ?」
 しのぶはアホらしくなって、黒焦げの面堂を引きずって教室へ向かう。ずるっずるっと面堂が床を這う音の後ろで、あたるが「誰が妬いとるか!」とわめき、ラムが「妬いてるっちゃ〜〜〜」と喜ぶ声が聞こえた。

 あたるの元恋人の下駄箱にないものが、あたるの現恋人(かもしれない)の下駄箱にはあった。その上、(たぶん)現恋人があたる以外の男に興味を持つ可能性なんてゼロに等しいし、尚かつ異星人で、対する元恋人は今現在押しも押されもせぬフリーの美少女で家庭的で地球人ときている。
 しのぶはドスドスと足音荒く廊下を突っ切る。名前のないその他大勢の生徒達は、前から向かってくる、怒れるモーセ・しのぶのために、さっと左右に分かたれ進路を空ける。
 面堂はまあいいとして、あのコースケですら、ラブレターを手にしていたのに。二人とも、その心は他の誰かのものになっているのに。心もフリーなしのぶは、ぐわら!っと荒々しく教室のドアを開けた。ついでに引きずっていた面堂をその席へ放り投げる。宙を舞う面堂は、見事にぐしゃりと潰れて己の席に落下した。ざわざわと級友達が顔を寄せる。
 しのぶはバシンっと力強く鞄を机に叩きつけると、窓際で悪友にラブレターを見せびらかしているコースケを睨んだ。コースケは幸せそうにニタニタとラブレターを読み上げている。しのぶは脱力して机に突っ伏した。

「ねえ。しのぶ」
 オドオドと気遣わしげに、少女がしのぶに声をかける。しのぶはゆっくりと顔を上げた。真っ直ぐな黒髪がしのぶの頬を滑る。少女は少しだけ緊張を和らげる。その後ろでは、級友達がざわざわと好奇心九割、激励一割で少女を見守っていた。
「なーに」
 少女は膝をついて、心底心配そうな表情でしのぶの顔を覗き込む。少女は青白い顔をしていた。
「しのぶ、大丈夫?」
「?ええ。大丈夫だけど?」
 なにを問われているのかわからずしのぶが答えると、少女はゴクリと息を呑んだ。
「…しのぶが不機嫌そうなのって…。もしかして…下駄箱に…」
 そこまで少女が口にすると、しのぶは音を立てて机を叩き、椅子を倒して立ち上がった。少女が飛び退く。
「しっしのぶ?やっぱり…!」
 しのぶはぎゅっと目をつむると、俯いた。
「…ちょっと、保健室いってくる!」
「しのぶ!」
 絞り出すような声を残して、しのぶは教室を走り去った。廊下を走りながらしのぶは、飛びついてきたあたるをぶっ飛ばし、そしてまた全力で駆け抜けていった。教室では何が何やら事情の飲み込めない級友達がざわめいている。
「どうしたっちゃ?」
 しのぶとすれ違いに教室に入ってきたラムが、音速で走り抜けていったしのぶの残り香を振り返る。
「それが…」困惑顔で教室を去ったしのぶを横目で追っていた少女が、ハッとした表情になり、ラムに詰め寄る。
「ねえラム!しのぶの下駄箱に妙なものが入ってたりしなかった?変態じみた手紙とか、セクハラまがいのものとか!」
 ラムはう〜ん、と腕を組むと「うち、しのぶより後から来たからわからないっちゃ」と答えた。少女が「そう…」と肩を落とす。その様子を見ていたあたると、しのぶに理由もなく投げられた面堂が少女に近付く。
「しのぶさんの下駄箱が、どうかなさったんですか?」
 面堂の顔に色濃い心配の表情が浮かんでいる。全女生徒は自分に夢中であるはずで、しのぶも勿論その中の一人であると認識している面堂にとって、先程のしのぶの行動は、何かとてつもなく深刻な問題に起因するに違いないと思われた。それならば、しのぶのために、しのぶが元通り自分に好意を抱くように救ってあげたいと面堂は思った。
 少女は面堂の顔のアップに頬を染め、それから深刻な表情に切り替えた。

「あたし、見ちゃったのよ…。今朝、あたし、日直だからいつもよりずっと早く学校に着いたの…」

* * * * *


 朝早い学校。きん、と冷えた空気は、サラリーマンが行き交う通路では心地よく感じたものだけれど、ただ一人、こうして昇降口に立っている今は、何やら得体の知れない何かが醸し出す冷気のような気がして怖い。下駄箱の取っ手をばこっと開ける音や、上履きを床に落とす時の不揃いな音が、しーんと静まりかえった学校内に響く。
 日直だから、と早く来すぎてしまった。悪いことに、今はテスト一週間前を切っているから、どこの部活も朝練をしていない。人気のない学校ほど不気味なものはないというのに。少女はそろそろと辺りを窺いながら上履きを履いた。
 とんとん、とつま先を床に蹴りつけながら正面廊下を歩いていくと、後ろの下駄箱からカタリ…と音が聞こえた。遠慮がちで、静かで、故意に抑えられたような。少女はビクリ、と肩を震わせて、立ち止まるかそのまま進むか迷った。けれど好奇心が勝った。
 少女は、振り返ってしまった。

* * * * *


「で、なんだったんです?」
 面堂はぐっと身を乗り出して、少女の肩を掴んだ。少女はきゃっと黄色い悲鳴を上げる。あたるがハンマーで面堂を床に這いつくばらせ、少女の肩を抱く。少女はギャッと嫌悪の悲鳴を上げる。ラムがあたるに電撃をかまし、復活した面堂が日本刀を振り上げ、あたるが真剣白刃取りする。
「あの〜〜〜」
 少女は二人の男のじゃれ合いに戸惑って声をかける。まだ話途中だ。
「放っておくっちゃ。それで、何を見たっちゃ?」
 少女は名残惜しそうに面堂を見つめ、それからあぐらをかきながらふわふわと浮くラムを見上げた。
「しのぶの下駄箱の前で…」
「しのぶの下駄箱の前で?」
 面堂を叩きのめし、戻ってきたあたるが身を乗り出す。少女はぶるぶるっと震えると青ざめた顔で言った。
「ウサギが…」
「「「ウサギ!?」」」
 床にのされた面堂も起きあがり、あたる、ラム、面堂の三人は声をハモらせた。少女はこくり、と頷く。
「ウサギの着ぐるみを着た変態が、しのぶの下駄箱を漁っていたの…!」
 少女はそう言うと「可哀想なしのぶ!きっといかがわしいものでも入れられたんだわ!」と、両手で顔を覆い、ぶんぶん頭を振って嘆いた。面堂は「う〜む。許せん!変態め!」と拳をつくって唸る。
「「………」」
 ラムがあたるを見下ろし、あたるがラムを見上げる。二人は目を合わせ、それからしのぶの駆け抜けていった教室のドアを眺めた。
「ウサギって…」
「因幡に決まってるっちゃ」
「だよなあ…」
 二人は揃って首を傾げた。なぜしのぶは、教室を出て行ったのだろう。あたるはハッと顔を上げた。
「あの野郎、しのぶにイヤらしい手紙を…!なかなか会えんからと、あんなことこんなことを…!」
 あたるの脳内では、因幡がゲヘゲヘと助平な笑みを浮かべて、卑猥な言葉を書き殴り、”とんでもないもの”を糊代わりに使い、あまつさえ、その”とんでもないもの”を瓶詰めにして、卑猥な手紙と一緒にしのぶの下駄箱に押し込める。因幡はゲッヘッヘッ、と去っていく。しのぶはそんなことは露とも知らず、下駄箱をぱこっと開ける。しのぶが「きゃああああああああああ!」と悲鳴を上げる。
「ゆっ許せん!」
 クワッとあたるが憤り、しのぶの後を追おうと出入り口に手をかける。ラムがビシイッと電撃を放ち、あたるを足止めする。
「なにすんじゃい!」
「ダーリンじゃあるまいし、因幡がそんなことするわけないっちゃ」
 黒こげになったあたるがラムを見上げて反論する。
「おのれはおれをそんな目で見ておったのかっ!!」
 ぎゃあぎゃあと騒ぎが大きくなり、その騒音は一限開始のチャイムの音をかき消した。温泉マークは「きさまら、なに騒いどるっ!!」と怒鳴りながら教室に入ってきたにも関わらず、一限が終わるまで彼の存在に気づいた者は、誰一人としていなかった。


次項→



≪戻る