確信犯(独; Uberzeugungserbrechen)



 近年“確信犯”とゆー言葉が誤用されるのを、よく耳にする。
 間違って覚えている人は多いだろうけれど、本来確信犯とゆーのは、お偉いドイツの学者さんが言い出した、法律用語なのである。
 ちなみに講談社カラー版 日本語大辞典 第二版によれば、【道徳的・宗教的または政治的信念を動機とし、正当であるという動機をもってなされる犯罪。思想犯・政治犯・国事犯など。prisoner of conscience】とある。ちなみにちなんで、この単語を調べるのにカラー版である必要はない。まったくもってない。皆無。
 私はよく、間違った意味の方でこの言葉を投げかけられるのであるが、しかしながら私自身、誤用ではない、本来の意味あいの方で、その単語は私を指し示すのに時に正しいのかもしれないと思う。
 誤った理解によってその言葉をちょうだいするときの私の行動は。たとえ、私を深く理解しようと努力する気配のない他人が、表層だけを眺めすかして、私、もしくは私のとった行動を悪であると判ずれども、私は己の行動に常に正義正当を認識しているのである。
 であるからして、もしも一介の凡人が私の高尚な信念と理念を理解できぬからと、愚かしくも早急に、私を裁こうとするのならば、この言葉は時に正しいわけである。
 とはいえ、私はいつも私自身の揺るぎない確固とした信念に基づき、行動しているので、誰になんと言われよーが、私は正しい。
 相手がたとえ、菩薩のよーにお優しいかすみお姉ちゃんであろーが、潔癖で真面目なあかねであろーが、である。そして父は問題外である。なぜ、という疑問は受け付けない。おそらくその理由を担う欠片を、あなた方は父の交友関係からすぐに見出すことができるだろう。

 脇道に逸れてしまった。話の切り出しを少々誤ったのかもしれない。
 単刀直入にいこう。ずばっと。
 確信犯がどうとか、それだから、なんだ、というものであるのだが、つまり、なんだ。事は単純明快だ。

 私、天道なびき十八歳は、事に及んだのち、見事に生理がこなかったので、九能ちゃんと結婚することになった。

 それだけのことである。
 もし、そこに問題を見つけようと躍起になる輩がいたとするならば……いや、それは一言で終わらせるより、詳細とまでいかずとも、少しばかり詳しく述べてみようかとも思う。ついでに言えば、この事に限っては、正直このなびきさんも、あまり己の正当性の吟味をしたくない。
 それでも私は、確信犯と呼ばれるのだ。あの、誤った意味で。

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「ウソでしょ…」
 はっきりと陽性を示す妊娠検査薬に、私は青くなった。
 血の気を失う、このざあああっという感覚を味わうのは数年ぶりで、少しばかり小気味のよさと懐かしさを感じ………てる場合じゃない。
 いつもは私の性格を表すかのように、とっても規則正しく訪れる生理が、二ヶ月おいでにならなかったのと、ここしばらくの倦怠感と微熱に、確かにおかしいなあ、と思ってはいたけれど、こんなふうに事実を宣告されるのは、あまり嬉しくない。
 しかし。この検査薬がウソをついているとは思えない記憶も確かに、私にはあった。
 きっかり二ヶ月前。
 私は…私は、男と寝た。
 初体験だったとかは、問題かもしれないけど、今となっては問題じゃない。いや、問題なんだけど、でももっと大きな問題がある。ああでも初体験だからこそ余計に大きな問題なのかしら。
 まあそれは後々考えるとして、そして相手の男も、おそらく、というか絶対、ハジメテだった。だって、どこにソレを入れるのかもよくわかってなかったくらいですからね。本人は、焦ってるのを隠そうとしてたみたいだけどね。そしてソッチの方が、実は大問題で。
 私のお初がロストバージンがどう、ということより、その男の、脱チェリーボーイの相手が私だったということが、どうしようもなく大問題なのでございますよ。
 なぜなら。なぜならば。
 ああ、言いたくない。
 このなびきさん、間違っても、大切な肉親を傷つけるよーな不義理で外道な真似はすまい、と固く決意していたのだけれど。
 言い訳は見苦しいだなんて、よくも言ってくれるもんだわ。
 悔しいけどその通り。
 私が寝た男とは………ごめんね、あかね。私は良かれと思って…。まさか妊娠するだなんてこんな失態はしないつもりだったの。安全日だったし、ピルは飲んでなかったけど(飲んでればよかったわ!)ゴムもしたし。まさか、高い安全性を保証してくれてるはずの日本製のゴムが、行為の最中に破れてたなんて知らなかった。
 この家の尊い犠牲になってくださるらしいあかねが、初めてそーいうことに臨むとき、せめて散々な、ひどい苦痛なんて感じて欲しくないと思った。どう考えても、今のまんまじゃ、彼にマトモなリードは望めなさそうだし、女の体を気遣うってことを、全く考えもしなさそうだし、ああいう、脳みそ筋肉みたいなバカには、あれこれ小うるさく細かいこと言うよりは、その体にたたき込んでやる方がずっと効率的で確実。証拠はすべてキレイに消し去ったし、あとは乱馬くんとあかねが無事めでたく平和で幸せな……なんてね。
 もうわかったと思うけど、相手は、乱馬くんだ。あかねの許嫁の。うちの跡取りになる予定の。
 妊娠するなんてオマケ、予想してなかったわ。でも予想していなかったのは、まずことの始まりからしてそうなのだから、笑えるわ。
 すっかり消し去ったつもりだった。
 妊娠なんて、そんなみっともない醜態。

 私はその日、間が悪いことに、いや、とてもとてもいいことに。あかねと乱馬くんが口汚く罵り合っているところに遭遇してしまった。
 もちろん、二人の声が聞こえてきた瞬間、あたしは物陰に隠れて、二人の目に付かないよう、己の保身を図ってから、悠々とデバガメに興じたことは言うまでもない。
 次第にあかねの声が段々と高く上擦ってきて、あちゃあ、こりゃ乱馬くん、不利ねえ、と私はそんなふうにいつも通りの感想を抱いただけだった。
 あかねはよく泣く。真面目で猪みたいな子だから、すぐ泣く。それも堪えに堪えて泣くもんだから、その泣き声といったら、悲劇的。大悲劇だ。
 私は昔、今よりずっと自制心のなかったころ、あかねをよく泣かせたものだ。そしてそれを、お母さんとかすみお姉ちゃんが、うまい具合に役割分担して、あかねをなだめ、私にやんわりと注意を促した。
 わあっと泣き出したあかねを前に、乱馬くんは固まってしまった。
 見れば、拳を固くつくって僅かに震え、顎をひいて俯いている。ここからでは表情はあまりよく見えないけれど、口をぎゅっと一本に結んでいるらしい。
 まあ、そんなとこよねえ。たぶん、大きな罪悪感と理不尽さに、もどかしい憎悪に駆り立てられているんだろう、単細胞なりに。
 だけど驚いちゃうわ。あの握りしめた拳には、あかねの頭蓋骨を粉々にして破壊しつくすくらいの力があるに違いないのだから。
 ずるいわね。
 ふと、そんな感想が浮かんだ。ずるい。この二人はなんとまあ、これほどまでずるい掛け合いを続けていくつもりなのだろう、と。私は突然襲われる波に一瞬戸惑いながらも、一切の自覚もなさそうな飯事遊びに、第三者的野次馬好奇心以外の、初めて苛立ちを感じたのだった。
 子どもの頃、あかねは飯事遊びが好きで、かすみお姉ちゃんの家事の手伝いが出来ない私は、一つ下の妹の、あかねのお守りが役割だった。飯事をすると、あかねは必ず「はあ〜いご飯ですよ」と泥まんじゅうをつくりたがった。夕食の準備をしに台所に向かうかすみお姉ちゃんが縁側を通りかかると、かすみお姉ちゃんは「あらあら」と微笑み、あかねはエヘヘと笑ってかすみお姉ちゃんを見上げた。私はどこからどう見ても、まんじゅうの形をしていない泥まんじゅうをあかねの手から受け取り、いただきます、と言うのだった。

 ああ、私ってやつは。これだから、振り返りたくなかったのよ。言い訳?いいえ。言い訳にもならないことを、それでも私は、心底思っていたし思っているし、それも真実ではあったのだ。

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「天道なびき」
 ぴゅううっと北風の冷たい屋上に、道着姿に木刀、とおなじみの姿で仁王立ちする九能ちゃん。と、目を伏せ眉を額の中央に寄せ、腕組みするなびきさん。この二人の組み合わせにしては珍しく、こうして相対する理由に、らんまちゃんやあかねの写真に関する交渉取引が介在しない。とりあえず、晩秋の候、霜月の屋上は寒い。スカートがはたはたと風に煽られ、九能ちゃんのくりん、とカールした前髪が浮き上がる。
「いったい、なにがどうして、ぼくがおまえと結婚せねばならんのか、ぼくにはさっぱりわからんのだが」
 九能ちゃんは腕組みにくそ真面目な顔をして、そのまま斜めに上半身そのものを傾げる。傾げるのは首だけでいいと思うのだが、昨晩首を寝違えてしまったのかもしれない。
「私ね、色々と考えてみたのよ」
 ふっと短く息を吐き出し、屋上の柵に体を預ける。九能ちゃんは斜めに傾いだ上半身を元の位置に戻した。
「九能ちゃんには今まで色々、あかねやおさげの女の子の写真やら情報やら…。大事な大事なお得意さまでいてもらったわ」
「おお、礼なら喜んで受けよう。頼んでおいた、おさげの女の寝起き姿か、それとも、」
「勿論私の手腕もあるけど、おかげさまで商売繁盛よ。九能ちゃんってば、太っ腹で男気があって大好きよ」
 九能ちゃんはムスッとして、「貴様ほどあこぎな女は見たことがない」と愚痴ったが、またもや無視することにした。
「でもね…不思議なのよ」
「なにがだ?」
 ふう、と気怠く睫毛を伏せ、愁いを帯びた溜息をついてみたが、九能ちゃんに大人の色香は通用しないらしい。とんだお子様だわね。
「大好きなお金が増えても増えても…なぜか満たされない心……」
「今月のお小遣いは使い果たした。期待しても無駄だぞ」
 まったく。このなびきさんが女をかけた、一世一代の愛の告白を邪魔するなんて。いい度胸してるじゃないの。
「いいえ!その逆よ。九能ちゃんからおさげの女の子やあかねの写真の代金を受け取るたび、私の心にはこの北風のような…そう!いつからか、すきま風が吹きすさぶようになってしまったの!」
「どういう意味だ?」
 九能ちゃんがまた、腰から上半身を斜めに傾げる。私はゆっくりと、そしてスカートにセーラーの襟、さらさらの髪を風になびかせながら九能ちゃんへと振り返る。九能ちゃんは上半身を斜めに傾げたまま、目をまん丸くしてあたしを凝視した。
「私…私、九能ちゃんのことを心の底から愛してしまったのよ!」
 私は一筋の涙をぽろりと――女は目薬を常に携帯しておくものよ――頬に伝わせ、腕組みで斜めに傾いだ九能ちゃんにひっしと抱きついた。
「愛しすぎて、お腹にはあなたの子どもができてしまったわ!責任とってね!九能ちゃん!」
 九能ちゃんと私しかいない秋の屋上を、びゅおおっと突風が吹き抜けていった。

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「しかし、天道なびき」
「なあに、九能ちゃん」
 九能ちゃんはぎこちない手つきで腕の中の赤ん坊をあやす。クリーム色の産着に包まれた赤ん坊が、ぐずぐずと不穏な空気を醸し出す。
 青い空と白い雲が臨める窓には、豪華絢爛に、胡蝶蘭やら青い薔薇やらが所狭しと飾られ、神経質なまでに真っ白いタイルの壁には、エル・グレコの受胎告知のレプリカ(いい趣味してるわ。わかっててやってるのなら、九能ちゃんはユーモアの大天才よ)が豪華なルネッサンス風の額にかけられている。私の真向かいには大画面のプラズマテレビが壁にはめ込まれているのだが、山盛りになった果物の詰め合わせによって視界が遮られている。
 遂にビエエエエッと泣き出した赤ん坊に慌て出す九能ちゃん。私は九能ちゃんとバトンタッチして赤ん坊を抱きかかえると、シルクのパジャマの前ボタンを外した。
「は、はしたない真似をするな!天道なびき!」
「はあ?」
 白く艶めかしい乳房を空気にさらけ出すと、赤ん坊はむぐむぐと勢いよく母乳を飲み始めた。
「よ、嫁入り前の娘が、お、男の前で、ち、ちちちちちちち、」
「私、九能ちゃんと結婚したんじゃなかったっけ?」
 私が小首を傾げると、九能ちゃんはハタと止まって、そうだった、と頷いた。赤ん坊は、んぐんぐ、と幸せそうに私のお乳をしゃぶっている。
「し、しかし天道なびきよ」
「なあに〜?」
 九能ちゃんは顔を真っ赤にして俯きながら、もごもごと口ごもる。私は乳房から口を離した赤ん坊の背中をさすってトントンし、ゲップをさせ、素早くパジャマのボタンを閉めた。九能ちゃんは変態のくせに、実は奥手だ。
「なぜ結婚したのだったかわからんのだが」
 ほっとしたように、けれどどこか残念そうに私を見上げて、九能ちゃんが言う。
「愛し合ってるからに決まってるじゃないのお〜」
「そうなのか?」
 カラカラと笑い飛ばすと、九能ちゃんは初めて聞いた、というような顔をした。
「ひどいわっ!子どもまでつくっておいて、私のことは遊びだったと言うのっ!?」
 うるうると目に涙をため、ヨヨヨと泣き崩れると、九能ちゃんは慌てて
「断じて遊びではない!遊びではないぞおっ!天道なびき!」
「さっきから気になってたんだけど、結婚したんだから、九能なびきよ。九能ちゃん」
 目に浮かべていた涙をすっかり消して九能ちゃんの台詞に訂正を入れると、九能ちゃんは、そうだった、と頷いた。開けはなった窓から心地よい風が吹き込み、赤ん坊がくしゅん、と小さくくしゃみをした。
「九能ちゃん、この子が風邪ひいちゃうから、窓閉めて」
 九能ちゃんはこっくりと頷き、立ち上がった。ぴしゃり、と窓を閉めると、九能ちゃんは腰から上を斜めに傾げて停止した。
「どうしたの?」
 すうすうと寝息をたてはじめた赤ん坊を揺らしながら、固まってしまった九能ちゃんの背中に声をかける。九能ちゃんは斜めに傾いだまま、赤ん坊を生んだ母親に絶対に言ってはならない定番の禁句を言い放った。
「つかぬことを聞くが、て……九能なびきよ。その子はほんっと〜にぼくの子か?」
 だから私は返した。
「決まってるじゃないの、九能ちゃん」
 九能ちゃんはギギギ、とぎこちない動きで振り返る。私はニッコリと微笑んだ。
「夫婦と子どもがいたら、子どもの父親は妻の夫でしょう」
 ねえ、九能ちゃん。飯事遊びは楽しいわよ。



-end-


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