いつかのメリークリスマス



 しんしんと降り積もる雪。街角にはイルミネーション。キラキラと輝く光の洪水を反射するのは、彼や彼女らの手にしたプレゼント、を包むリボンに包装紙。プレゼントの中身は来るべきその瞬間を思わせ、彼や彼女の心をウキウキと弾ませる。一方では財布をすっかり軽くしてしまったがために、しばしば後悔に悩む者もいる。
 向こうの道を行く、口をへの字にきつく結びながらも抑えきれない微笑に鼻腔を膨らませている、あの彼の予定では、プレゼントをどう渡そうものか、すでに決まりに決まっている。豪華なディナーの席でロマンチックに、彼女の指にはめてやるのだ。何カラットかはあまり自慢できないけれど、愛だけは世界中の誰にも負けぬほどぎっしりと詰められたダイヤのリングを。一生に一度しか言わぬ予定の、あの決意とともに。
 そうして街はホワイトクリスマスに向けて着々と準備を進め歩んでいる。
 しのぶは早足で人混みをすり抜け、駅へと向かう。腕にはさきほど買ったばかりのポインセチア。花屋は、デパートのテナントにある女性客に人気の店で、品のいいフラワーアレンジメントには定評がある。少しばかりハイソな雰囲気が漂うその店で、しのぶはすこしばかり見栄を張り、奮発してみた。ぐるりと一周回された、クリスマスカラーのシンプルなリボンがカサカサと、歩みに合わせてしのぶの手の甲を掠める。手袋のはめられていないしのぶの手の上で雪のひらが溶けていく。真っ赤な指先は寒さで小さく震えている。
 大のお気に入りだった、手首のあたりにファーの施された真っ白い手袋は三年前、どこかで落としてなくしてしまっていた。クリスマスの前日、クリスマス・イヴのことで、その年は面堂が友引高校に転校してきて以来、しのぶが面堂家主催のクリスマスパーティーに欠席した、初めての年だった。その日も、こうしてしのぶはプレゼントを手に、駅へと向かっていたものだった。おそらく、閉店間際のデパートへ予約していたプレゼントを受け取りに駆け込み、それから約束の時間に間に合うよう急いで人混みをすり抜けるうちに、カバンに無造作に突っ込んでおいた、あの真っ白な手袋はどこかで落ちてしまったのだろう。それ以来、ピンとくる手袋に出会えずに、いつの間にか冬が通り過ぎている。
 電車に乗り込むと、しのぶはふうっと一息ついた。ぼわっと暖かい空気がしのぶの体を包み、感覚の失せた指先はちくちくと軽い痛みを伴って、血が巡り出す。しのぶは乗客がまばらなのをいいことに、座席の右隣を陣取ってポインセチアを置いた。混んできたら膝の上に載せるもの、と内心つぶやいて、ちくりとした罪悪感を消す。曇った窓ガラスは、ともするとゴチャゴチャとうるさいイルミネーションを緩和させ、ぼんやりとした輪郭がしのぶの心を和ます。
 久しく帰っていなかった友引町へと、電車はしのぶを運んでいく。大学は実家から通えぬ距離ではなく、実際、大学二年の春先までは実家から通っていたのだし、しのぶが今下宿しているアパートの最寄り駅から実家の最寄り駅は、結局のところ二駅しか離れていない。学業が忙しい、アルバイトが忙しい、大学でできた友人と遊ぶのに、サークルに、と。何かと忙しい日々を送っていたような気がする。大学での最終学年、四年生となった今年は特に、就職活動と卒業論文の製作に追われた。なにかと忙しくて。そのためにか、しのぶは高校時代の友人が結婚するという知らせを受けた今日になるまで、家を出て以来、遂に地元に帰ってこなかった。
「…いそがしかったもの、ね…」
 乗客がまばらだというのは、独り言を自由に言える権利をある程度得られる、という点で好ましい。しのぶはハンドバックの中から、結婚式の招待状を取り出す。消印は三ヶ月前。この手紙を受け取ったときはまだ暖かかった。秋というにはまだ夏の残り香のする、まさか、寒さの余りに手袋なしでは指先が赤く染まるなどということはない季節だった。
 二人が結婚する、ということを、披露宴での祝辞を賜りたいとの突然の依頼を電話で受けるまで、すこしも知らなかった。それよりラムとあたるが結婚する方がずっと早いだろうと思っていた。異星間結婚の結婚披露宴がとりおこなわれる暁には、披露宴のスピーチは誰がするのだろう、とちょっぴり期待していた。ラムはラムで、同郷にしのぶよりずっと深いつきあいの友人がいたし、あたるとは幼馴染みとはいえ、元彼女という事実が消えぬ限り、しのぶにその立場はない。だけれど、ラムとあたるというカップルが成立するにおいて、一番被害を受けたのも一番近くで見守っていたのも自分だ、と自負していたから、難しいだろうなあと思いつつ、どちらか一方の友人代表にはなりたいものだ、と思っていて、ぼんやりとこんなことを話そう、と気が早いことながらスピーチの内容を考えることはあった。
――なんで、かなあ。
 しのぶは招待状をじっと眺めた。返信はがきが封筒から姿を消した以外は、二ヶ月前、郵送されてきたときの姿のままの招待状。なぜあたしが、と思うと、しのぶの胸は痛んだ。新婦ラムの友人代表として、だったら。新郎あたるの友人代表として、だったら。いくらでも、しのぶには心構えがあったのだ。元恋敵のラムも元恋人のあたるも、今ではどこからどう眺めても、完璧な、大切な友人だ。友人代表、という言葉もしっくりくる。
 しのぶは、友人代表という言葉に素直に頷くことのできないという下らない反発心よりも、うっすらとした悲しみを覚えた。初めて会った日から、そしてこれまでもずっと、しのぶは竜之介にとって、ただ一人唯一、無条件で心を許せる親友であり続けた。手と手を繋ぎ、瑞々しい栄光と愚かしい過ちの詰まった青春時代の思い出。誰もが胸に抱えるそれを、気まずさと共犯者の含み笑いでいつまでも共有していく、別々の方向へと進みながら、時折顔を合わせては昔話に花を咲かせるような。竜之介には唯一人の、名誉ある女友達の称号を、しのぶは与えられていたのだ。
 電車の扉が開き、乗客がどっと乗り込んできたので、しのぶはポインセチアを膝に載せた。ずっしりとした重みは、三年前の電車の中では感じなかったものだ。あの日手にしていたプレゼントは、ピンクゴールドのチェーンの、華奢なネックレスで、小さなケースにちょこん、とした重みだけがあった。



「さようなら」
 懐かしい母校に足を踏み入れると、まだ校舎に残っていた高校生とすれ違った。声をかけられたことに少し驚き、それからほんのりと暖かい気分になって、さようなら、と返す。実直そうなその男子学生は、ぺこり、とお辞儀をしてから踵を返し、下駄箱へと足を向ける。背には竹刀袋と防具袋が揺れ、しのぶはなるほど、と頷いた。
――いつの時代も、剣道部の子って礼儀正しいのよねえ。
 忙しさに途中で諦めたりせず、教職課程を続けていればよかったかなあ、とちょっぴり後悔する。教育実習生として後輩達の前、教鞭をとる姿を想像する。
「気をつけて帰るのよ〜!」
 しのぶが声をあげると、男子学生はびっくりした、というようなあどけない表情で振り返り、嬉しいような気恥ずかしいような、思春期の少年らしくはにかんだ。しのぶは大きく手を振った。
 しのぶが高校生の頃も、剣道部は遅くまで練習をしていた。終業式のクリスマス・イヴも、剣道部はいつもと変わらない練習をいつもと変わらない時間まできっちりとすると、いつもと変わらない様子で部員は下校していく。彼等の心の内は、いつもと変わらないのか、それともいつもと変わらないイヴに、何か感じるところがあるのか、わからないけれど。
「お姉さんも、気をつけて!」
 メリークリスマス!怒っているかのようなぶっきらぼうな声で、不器用にそう言うと、少年はばたばたと慌ただしく走っていき、竹刀袋が下駄箱に引っかかって、派手な音を立てて転んだ。慌てて飛び起き、下駄箱から履きつぶしたスニーカーを抜き取ると、つま先だけ引っかけて、またもや全速力で駆け抜けていく。しのぶは、くつくつと肩を震わせて笑い、やっぱり教職課程なんてとらなくてよかった、と独りごちた。
 しん、と廊下中に広がる静寂が急に身に迫ってくる。発作のようなくつくつ笑いがふっと途切れ、訪れる空白。しのぶはふうっと息を吐き出すと、歩き出した。こんな時間では、売店はもう閉店しているに違いない。午前授業の日の高校の売店というものは、大抵昼過ぎには閉まるもので、部活動をしている生徒はそれを歯がゆく思うものだ。



「潮渡の姓を名乗るのも、今年が最後ねえ」
「なあに。渚さんがお婿さんになるの?」
「やだっ!しのぶちゃんったら。あたし、お嫁さんになるのよ」
 失礼しちゃう、と渚が口を尖らせた。チカチカと点滅する、赤に緑に青、黄色のイルミネーションが、シャッターの閉まった売店をぐるりと一周している。シャッターの前には、大きな光る雪だるまとツリーが並び、それらはこのシーズン、町ゆく店々がクリスマス一色に彩られる様子、スマートさとは異なる、野暮ったい家庭的な装飾のされようだった。しのぶが高校生の時、売店にクリスマスの飾り付けがなされるのを見たことはない。
 しのぶは、婿だろうが嫁だろうがどっちだっていいわよ、と言おうとして、はたと止まった。
「ねえ、渚さん。式では渚さん、ドレス着るの?」
 渚さん「も」なのか、それとも渚さん「が」なのか。しのぶの不安と恐怖が渚に伝わったのか、渚は静かに微笑んだ。
「着ないわ」
「どうして?」
「うん」
 穏やかな微笑みを崩さず、渚が頷く。しのぶは息を呑み、口を開く。空気だけを吸い、音をもう一度飲み込むと斜め向こうへと視線を投げかけた。仕切りから微かに漏れる光が線になっている。漂ってくるのは、クリスマスイヴとは無縁の味噌汁のにおい。
「…竜之介くんがイヤだって言ったの?」
「ううん。竜之介さまはあたしの好きなようにしていいって」
 どーせ、オカマのおめえのことだから、ドレスでもなんでも着るんだろ、もう今更どうでもいいさ、おめえがしてほしいってんならタキシード着てやるよ、ですって。渚は目をくるくると回し、おどけて言った。しのぶは小さく安堵の溜息を混じらせ、頷いた。
「そうでしょうね」
「竜之介さまのタキシード姿、素敵でしょうねえ」
 うっとりと目を閉じ、渚は思いを馳せる。しのぶは渚を見つめる。チカチカと赤、緑、黄色、青…と渚の頬を通り過ぎる小さなライトの光。渚がゆっくりと目を開け、しのぶの目を真っ直ぐに見つめ返した。
「でも…」
「うん。わかるわ。その気持ち」
 しのぶは渚を遮り、悪戯っ子のように笑った。渚はエヘ、と小首を傾げる。しのぶは思い切り意地悪い視線を渚に送ると、ふふん、と鼻で笑った。
「だああ〜〜〜って、正装した竜之介くんの隣じゃ、どんなドレス着たってかすんじゃうもの!渚さんじゃあねえ」
「言うわねえ〜しのぶちゃん」
 ずいぶんじゃなあい?と渚が言うと、しのぶは
「あら当然よお。竜之介くん以上にかわいー子なんて、いないんだものっ」
「それはそうよ!あたしの竜之介さま以上にかわいー子なんていないわっ」
 ドレスを選びにレンタルサロンに行ったときだって、竜之介さま以上にドレスを着こなしてる女の子はいなかったもの。自慢げに胸を張る渚に、しのぶは微笑んだ。竜之介は披露宴でドレスを着る。どんな顔でドレスを選び、試着し、決めたのだろう。
「ね、渚さん」
 うっとりと竜之介のドレス姿を思い返していた渚が、ぱっちりと目を開ける。渚が竜之介に迫った、昔の強引な取引の約束をしのぶは思い出す。日の光の元でもいつまでも消えない渚。
「あたし思ったんだけど。式の誓いのキスで見事成仏。昇天してさよーなら〜、なんてオチはないのかしら?キスしたら成仏する、なんてばかみたいなこと言ってたじゃない?」
 その方がずっと、スモークやらレーザーやら空中ブランコなんかより、エンターテインメント性に優れてると思うわよ。お金もかからないし。しのぶが上目遣いで渚を見ると、渚はびーっと舌を出した。
「お生憎様。竜之介さまとはもう、あつ〜いキッス済みよ」
「あら、そ。ごちそーさま」
 つまんないの。しのぶが言うと、渚はひどいわねえ、と苦笑した。ポインセチアが渚の腕の中で点滅するライトを浴びている。
 ポインセチアはしのぶが売店兼藤波家を訪ねて早々、応対に出てきた渚に渡した。ありがとう、としのぶから受け取ってから、渚はどこかに置くこともせず、ポインセチアを抱えたままでいる。雪だるまの隣りに、カラフルでどこか醤油くさいツリー。その隣りにクリスマスフラワーを胸に抱く渚。ちかっちかっと点滅する色とりどりのライト。終業式前に全校生徒の手でされる大掃除によって、ワックスでぴかぴかに磨き上げられたフローリングが光を反射し、売店から長く伸びる光と影。緑色に光るのは避難口を示す誘導灯。廊下には暖房はなく、今年おろしたてのコートとツインニットをしても体に感じられる冷気。吐く息は白く、光の線が筋となりその間を通っていく。奧から漂う夕餉のにおい。

「渚さんはずるいなあ」
「うん」
 渚が頷く。渚の微笑む顔が、しのぶにこの季節特に、何か象徴的なものを思い出させる。一度、唾を飲み込むと口の中いっぱいに唾が溜まってくるようだった。喉の奥までも溢れていく。
「…ずるいわよ。女の子みたいなのに。女の子みたいにもなれて、女の子同士みたいなことだってできて。それなのに、男の人なんだもん」
 思い返せば教会の飾り付けは、町のイルミネーションのような派手さはなく落ち着いて、厳粛と暖かみを感じさせる。日本の小さな教会では、ごくごく家庭的でどこか野暮ったい。
「ずるいわ」
「うん」

 しのぶは顔をあげ、からっと笑った。渚は優しく微笑み、お兄さんというよりお姉さんだなあ、としのぶは思う。しのぶはうふふ、と滲んでくる微笑みに身を任せる。渚は小首を傾げ、肩を小さく寄せて胸元で手を組み、にこにことしのぶを見つめる。
――ううん。やっぱり男の人なんだわ。
「やっっっっぱり、ずるいわねえ」
 笑いながら渚に言うと、廊下の向こうから、小さく足音が聞こえてきた。渚がふと、視線をしのぶの頭を越し、暗闇に包まれた向こうへと投げかける。
「あ、帰ってきたみたい」
 渚がそう言うが早いか、しのぶは大仰に顔を両手で覆い、泣き声をあげた。途端、奧からひたひたと静かだった足音が、ばたばたと慌ただしく乱暴になる。瓶類のがちゃがちゃと重なり当たる音、ビニールのがさがさいう音が、床を蹴る足音に騒がしく混じる。
 しのぶは尚一層、悲劇的な声をあげる。暗闇から一つの点が疾走してきたか、と思うとそれはすさまじい白煙をあげて、狼狽える渚と悲愴な泣き声をあげるしのぶの間に割って入ってきた。
「渚!てめえ!」
 ビニール袋が乱暴に廊下に放り出され、がちゃん、と瓶が悲鳴をあげる。渚は胸倉をぐいっと力任せに掴み上げられ、頭部が後ろへ傾ぐ。竜之介が掴んだ渚の胸倉をぎりぎりと締め上げると、渚が「竜之介さま、苦しいわあ」と非難した。
「この野郎!しのぶに何しやがった!」
「ひどいわ〜〜〜〜。竜之介さま!どおーして真っ先に夫のあたしを疑うの〜?」
 しのぶちゃんじゃなくてっ。渚が掴まれた胸元の前で手を組み、うるうると竜之介を見上げ、ぐっと顔を近づける。竜之介はぱっと手を離し、渚から顔を背けると後退り、構えのポーズをとった。
「あったりめえだっ!てめえの前でしのぶが泣いてんだ!悪いのは渚!てめえに決まってるじゃねえかっ!」
「ひっどおおお〜い」
 渚はぷるぷると頭を振って竜之介に訴える。竜之介は腰を落とし、今にも渚に飛びかかろうとしている。
「そっそれにっ!」
「それに?」
 口ごもる竜之介に、渚が小首を傾げる。
「まっまだ、お、おおおおお夫じゃねえやいっ!」
 真っ赤になって怒鳴る竜之介に、渚は涙をぽろぽろと零し
「ひどいわっ!竜之介さまっ!散々、あんなことやこんなことまでしておいて、今になって、あたしを捨てようなんて言うのねっ!お嫁にいけない身体になってしまったのに!」
「だあああああああ!人聞きの悪いことを言うんじゃねえっ!だいたいそれはてめえが…!」
「これ!竜之介!おまえも男なら、びしっと責任をとらんか!」
 いつの間にかにゅうっと現れた竜之介の父親が、渚の肩を入れている。手には、さきほど竜之介が廊下に転がしたシャンパンが握られ、既にコルク栓が抜かれていた。はあっと大きく溜息をつき、渚に向かいなおる。離れて立つしのぶの元に、生臭い酒の臭気が届く。しのぶは泣き真似をやめた。舞台の照明は既にしのぶから離れていた。
「すまんなあ。渚さん。いつまでたっても素直になれんガキで。まったく。いやはや…。渚さんには苦労をかけるのう。不肖の息子だが、よろしく頼まれてくれるかい」
 おれは女だ!とわめく竜之介を尻目に、渚が感動的な面持ちで、竜之介の父に擦り寄る。
「いいえ。とんでもない!あたしこそ、不束な嫁ですけれど、精一杯!精一杯、真心こめて竜之介さまとお父様に、お仕えしたい所存です。お父様っ!どうぞどうぞ、よろしくお願い致します」
 深々と頭を下げる渚に、竜之介の父が
「おお!なんと出来た娘さんじゃ!そうなかなか、こんなにいい娘さんはおらんぞ。竜之介!おまえにはもったいないくらいだ。感謝せねばならんぞ。わかっとろーな」
「ええ〜い!おめえら、勝手なことぬかしてんじゃねえ!」
 フラッシュバックする、過去の記憶。竜之介たちがあの頃、毎日繰り返していた乱闘騒ぎの親子喧嘩。しのぶは時が戻っていくのを感じた。一方、決して戻らぬ変化を強く意識する。父親に掴みかかる竜之介の首もとが、ちかっと小さく光る。着古した、くたくたの赤いパーカーから飛び出したのは、小さなキュービックジルコニアがリボンの形に並べられた、小さなネックレスチャーム。クリスマスを盛り立てる照明をキュービックジルコニアが弾いている。いつかの日の光景と同じように、チェーンもチャームも、ライトを反射する。その輝きは失せずに同じ強さで跳ね返す。
「それじゃあ、あたし、そろそろ」
 父親の胸倉を掴んだまま、竜之介はしのぶに振り返り、竜之介に掴み上げられた格好の彼もまたしのぶに顔を向け、渚はしのぶの手を握る。大きな手ではあったが、そっと触れる柔らかさはどこまでも女性的だった。
「竜之介くん、渚さん。ご結婚おめでとう。お式では大役をお任せくださるということで…ありがとう。友人として、喜んでお引き受けします。電話でもお返事したけど、直接言いたかったの。こんな日に押し掛けちゃって、ごめんなさい」
 渚が一瞬、しのぶの手を握る力を強める。しのぶが渚に微笑みかけると、渚はゆっくりと手を離した。竜之介は父親を投げ捨て、慌ててしのぶに詰め寄る。
「しのぶが謝ることなんかねえさ!忙しいってんで、ずっと会えなかっただろ?会えて嬉しいんだ。めでてえ日に、こうして訪ねてきてくれて、こっちこそ礼を言わなくちゃならねえ。その上、その、あの。なんつーか。ほら、し、式のことも、よお」
 俯いて口ごもり、照れる竜之介と、その脇に寄りそう渚、後ろでシャンパンの瓶に口をつけている竜之介の父親。チカチカと点滅し続けるイルミネーション。幸せな家族の形が、この先もきっと続いていくだろうことを保証されているように見えた。満ち足りた安堵を土産に、家に帰ろう。
「な、なんかこう、改まると、アレだな。その…。うん!だからよ!礼にといっちゃ、なんでい。たいしたもんじゃねえけど、夕飯、食べてってくれよ!な!」
 今年はケーキがあるんだぜ、渚のやつの手作りだから、味の保証はできねえけど。竜之介は早口でまくしたてる。渚は、竜之介の言葉に、拗ねたフリをした。赤と緑。クリスマスカラーのポインセチアは渚の腕の中から、いつの間にか雪だるまの置物の隣りに並んでいる。
 はじめて、愛するということを教えてくれた人。ハードルを飛び越えてでも欲しい、と声に出す勇気を。大事に守ろうと相手を思う心で、沈黙する強さを。眠りからさめた情熱の深さを。それまで知ることのなかった、深淵の存在を示し覗かせてくれた。
 しのぶはにっこりと満面の笑みを浮かべる。
「ありがとう。でも、今日は遠慮させていただくわ。待っている人がいるの」
 ごめんなさいね。しのぶが言うと、竜之介は
「そうか、そうだよな。クリスマスイヴだもんな。おれ、気が回らなくてよお。無理に誘っちまって悪かったなあ」
 ばつが悪そうに頭をかく竜之介に、しのぶはううん、とかぶりを振った。
「それじゃあ、ね。竜之介くん」
 渚さんとなら、きっときっと、幸せになれるわ、竜之介くん。お幸せにね。軽く手を振り、イルミネーションに彩られた懐かしい母校の売店をあとにするしのぶの双眸には、ジルコニアの粒が小さく反射した光の残像。ゆっくりと七色に変化し、幾重にかブレを生じながら、ぼんやり薄れていった。

-end-


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