いつか王子様が。
 どんな女の子にも、いつかいつか。きっと、かならず。あなたにたった一人、運命の王子様がやってきて、女ったらしでいい加減で助平でふしだらでアホでセコくていじきたなくてどうしようもない男との腐れ縁にウンザリしているとか、仕方なくその現状に甘んじていたというかそこらへんで手を打っておくか、そのうちもっといい男が現れたらそっちに乗り換えるし、なんて妥協していたら鳶に油揚を攫われたと申しますか、突然現れた宇宙人に男をかっさらわれた途端、急にキラキラ輝くこの世にまたといないスンバラシイ男に見え出したというか、背を向けられると追いかけたくなるとか惜しくなり出すとかいうのは一体ぜんたいこれって貧乏性なのかしら、なんて悩んでみたって覆水盆に返らずだし、なーんていう、そんなありきたりな悪い夢から目覚めさせてくれる。夢のような王子様がきっと。
 毒リンゴの甘い甘い誘惑に負けた、いじきたない女の子だって白馬に乗った、金髪碧眼の美丈夫――しかも立派な家(というか城)持ち・地(というか国全域)主の資産家(というか王子様!)――をゲットできたのだから、誰だって運命の王子様をゲットできる。そのはず。
 いつか王子様が…。バターたっぷりの甘いクッキーを頬張り、あらやだ口の中が甘ったるいわ、ううん、しょっぱいものが欲しいわね、なんて煎餅に手を伸ばしてバリバリと齧りつつ、女の子は遠い遠いお花畑に意識をウットリと飛ばし、トロンと潤んでとろける瞳を閉じては玉の輿を夢見る。そうして指についたお菓子の欠片をペロっと舐め取る。
 彼女たちの耳に聞こえてくるのは、正統派ディズニーだったりマイルス・デイヴィスだったりビル・エヴァンスだったりのサムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム。兎にも角にも、いつか王子様がきっと…。


Someday My Prince Will Come



「次はあれに乗るっちゃ!」
 ラムの指さす先にはこの冬話題の、新しい超高速回転ぐるぐる系絶叫ジェットコースター。パリパリと電気を身に纏っているのは、今さっき降りたばかりの直下型ジェットコースターで興奮しているせいだろう。
「早く行くっちゃ!もうあんなに並んでるっちゃ!」
「えー加減にせんかい!これでいくつめだと思っとる!おまえにつきあっとったら体がもたんわっ!」
 早く早く、と急き立てるラム。あっ、そこのかーのじょっ!と、脱走しようとするあたる。そんなあたるの首根っこをむんずと捕まえてラムは宙に浮き上がり、速度をあげる。
「行くっちゃ!ダーリン!終太郎もしのぶも急ぐっちゃ!」
「こら!離さんか!」
 じたばたと藻掻きながらラムに連れ去られるあたる。面堂はしのぶの後ろ、よろよろと頼りない足取りで手すりを掴んだ。
「大丈夫?面堂くん」
 やれやれ、と溜息をついてしのぶが振り返る。どうやら面堂は絶叫系の乗り物の連続にバテ気味の様子。
「……平気ですよ!」
 ぜえぜえハアハア、とひとしきり苦しげに喘いだかと思うと、面堂は白い歯を爽やかに光らせて微笑む。
「そう。じゃああたし達も急ぎましょうか」
 しのぶはあっさりと頷くと、くるっと前に向き直り、駆け足になる。
「ちょっ…!」
 期待を裏切るしのぶの答え。面堂は内心がっかりしながら、手すりから手を名残惜しそうに離した。しのぶさんなら少し休みましょうか、とか言ってくれると思ったのに…。
 あっちへよろよろ、こっちへよたよた。非常に座り心地の悪い椅子の上、ぐわったぐわったと豪快に揺すぶられ続けた尻が痛い。時折びきっと尻から鋭く重い痛みが走るのに、顔を引きつらせ、しのぶの後ろを追う。こんなときはいつにも増して、自由に空を飛べるラムが羨ましい。それ以上に羨ましいのは、そんな破天荒なラムに溺愛されて運ばれていく諸星あたる。細い腕、豊かな胸の中にしっかりと抱え込まれ、ゆらゆらゆらゆら空のお散歩。なんていい気持………いや、今の面堂では、ゆらゆら空を泳がされたら、昼に胃に詰め込んだものを全て吐き出してしまうだろう。今だけは遠慮しておいた方がいい。
 面堂の虚ろな視界には、ゆらゆらぶらぶら手足を投げ出し空に浮かぶ、間抜けなあたる、一人の男を抱え目的地へ一直線に飛ぶたくましいラム、それから弱る面堂を置いて駆けていく薄情なしのぶの後ろ姿。
(くそっ!なんでぼくが置いてけぼりを食らわにゃいかんのだ!)
 男のあたるはともかくとして、ラムもしのぶも、美貌と知性の持ち主、面堂終太郎に冷たい。冷たすぎる。特に目の前をさっさと走り去っていくしのぶが恨めしい。浮気性の男を監視して抱えて空を飛んでいくわけでもないのだから、待ってくれたっていいのに。
 面堂は拗ねるようないじけるような心持ちになって、ほんのちょっぴり悪魔が顔を出す。そして悪魔が囁いた。転べ!と。
「きゃあっ!」
 階段の一番下の段で、しのぶはバランスを崩すも、持ち堪える。面堂は慌てて走り寄った。
「大丈夫ですか!?」
 まずい!呪文が効いてしまったのだろうか。
「だ…いじょうぶ」
 にこっと微笑みかけるしのぶ。気のせいか青ざめている。視線を下に下ろすと、しのぶは右の足首をゆっくりとさすっていた。
「捻ったんですか?」
 そういえばしのぶは、転びかけたのを右足の踝でとどまったように見えた。しのぶは足首から弾かれたように手を離す。
「なんにも!」
 冷や汗を額に流しながらも強情につっぱねるしのぶ。面堂は、自分が見栄をはって強がったとき、しのぶが随分と暖かく優しい態度をとってくれたことを思い出した。
「そうですか。じゃあ急ぎましょう」
「ええ」
 ほっと安堵の息をつくしのぶを背に、面堂は足を踏み出した。
 せっかく気を遣っても、こちらの厚意をつっぱね受け入れないのならば仕方あるまい。ぼくに他に何ができよう。本人が何もない、痛くないと言い張り振る舞うのならば、ぼくに何ができる?むしろ足を捻ったのだろう、ぼくは見た、ぼくは知っているわかっている、そうだ見たのだ、痛いだろう、などと迫るのは無粋というものだ。そう、たとえ足が痛かろうとも、細く頼りない、その足が痛かろうとも、健気に何もないと振る舞って無理をしていようとも…。
 面堂は溜息をついた。くるり、と後ろに振り返って、もう一度しのぶの元に走り寄る。しのぶは右足を庇うようにして足を進めていた。走る格好だけはとっていたものの、そのスピードはジャリテンの空を飛ぶスピードと五十歩百歩といったところ。
「しのぶさん、少し休みませんか。実は絶叫マシーンの連続で、あまり気分がよくないんです」
 面堂の提案に、しのぶは頷いた。やれやれ。ぼくはどうしてこう、女性の前だと卑屈なほど下手に出てしまうのだろう。面堂家次期当主として、この癖はなおすべきなのだろうな。
「でも面堂くん、ラムは行っちゃったわよ」
「ええ。そうですね」
 そんなことはわかっている。だからなんだというのだ、と面堂は不思議に思いつつ、頷いた。しのぶは首を傾げている。
「それがどうかしたんですか?」
 面堂は途端、しまった、と思った。何をしでかして『しまった』のかは自分でもよくわからないが、しのぶの目が吊り上がるのを見て、面堂は失言だったのだろうと気がついた。
「どうかするでしょうに!面堂くんにとっては!ラムが行っちゃったのよ?あたるくんと二人っきりで!」
「はあ。そうですね」
 気のない返事を返す面堂に、しのぶは苛立ちを隠さない。しのぶは何が言いたいのだろう?
「どうせあの二人のことだから、自分達の番が来たらあたし達のことなんか待たずにさっさと乗り込んで楽しんでくるに決まってるわ。そのアトラクションが終わったら終わったで、きっとまた二人で進んでいっちゃうわよ。あたし達のことなんかちっとも待たずに。二人で散々楽しんだ挙げ句ようやく、あたし達がいないことに気付くのがいいところよ。もしかしたらそのまま二人で帰っちゃうかもしれないってくらい、あの二人の頭から、あたし達のことなんか忘れ去られちゃうわよ!面堂くんはそれでいいの?面堂くんが今日来たのは、ラムがいるからなんでしょう!」
 面堂はポカン、と口を開けた。しのぶは顔を真っ赤にしてフーフー、猫のように逆毛をたてている。
「いや…その。そりゃまあ、ラムさんがいるからというのもそうですけど…」
 なんと言えばいいものか、面堂は戸惑った。ここまであけすけに言われてしまうと、どう言い繕えばいいのかわからない。それに、自分の中ではっきりと断言は出来ないが、『ラムがいるから』だけが理由ではないような気がしないでもないのだ。うまくは言えないけれども。
「だったら!だったら気分がよくない、とかそんな情けないこと言ってないで、がむしゃらに脇目も振らずに追いすがりなさいよ!今追いかけていかなきゃ、どんどん可能性なんて減っちゃうんだから!もともとないに等しいのに!諦めたらそこでもう全部終わっちゃうのよ!その後でいくら後悔したって遅いんだから!」
 言いたい放題ぶちまけると、しのぶは口を噤んだ。可能性がないに等しい、とはずいぶんと言ってくれる。面堂は小さく溜息をついた。キャー、という楽しげで少し遠い悲鳴が間延びして聞こえてくる。音源はさっき四人で乗ったジェットコースターの方角。
「…足首、痛くないんですか?」
「痛いわよ。痛いに決まってるじゃないの」
 つっけんどんに答えるしのぶに、今度は大きく、はあ、と溜息をついて面堂はしゃがみ込んだ。しのぶは足首をさすっている。
「うわ。かなり腫れ上がってますよ」
 面堂はしのぶの手首を掴んでどかし、真っ赤に腫れ上がった足首を見た。しのぶが顔をしかめる。
「ヒールで転ぶとこうなるの。女の子は大変なのよ」
 しのぶは面堂がじっくりと足首を眺めるのを見て、顔を赤らめた。
「ねえ。もういいでしょう」
 面堂に掴まれた手を振り解き、もう一度足首をさする。今度は面堂の目から隠すように。腫れ上がってくびれのないゾウ足を男の子にじっくり観察されるなんて恥ずかしい。
「病院行きましょう、しのぶさん」
 面堂は顔をあげてしのぶを真っ直ぐ見た。
「ちょっと。面堂くん、あたしの話聞いてなかったの?」
「聞いてましたよ。足が痛いんでしょう。病院行った方がいいですよ、ずいぶん腫れ上がってますから」
 じろっと睨みつけるように見上げてくるしのぶをかわすと、面堂はコートのポケットから世界最小型トランシーバーを取り出した。
「そのことじゃないって、わかってるでしょ?」
 面堂の手からトランシーバーをひったくるしのぶ。面堂は膝を折ると、素早くしのぶの腫れ上がった踝を掴んだ。
「痛っ!」
 しのぶは激痛に身を捩って、眉を寄せる。
「ぼくは軽く触れているだけです。それでもこんなに痛いんですよね」
「痛いっ!痛いじゃないのっ!何すんのよ!面堂くん!」
 面堂の手を振り解くと、しゃがんだままの姿勢で出来うる限りの力を腕に込める。溜まりに溜まった力でしのぶは面堂をすっ飛ばした。面堂は向かいの橋の手すりまで飛んでいく。と思ったら、人間離れした回復力と整形力で妙な方向へ曲がった四肢を整え、ついでに間抜け面を修復し、抜けて地面に落ちた歯を拾って元の位置に戻して差す。全てが整ったところで、もう一度最終チェックの髪を整え、しのぶの元に戻ってくる。
「もしかしたら捻挫ではなく、骨が折れているかもしれませんよ。こういうことは早めに医師に診てもらったほうがいいんです」
「ただの捻挫よ。だいたい、妙な方向に手足を曲げておいて、簡単に自分で接骨とか整形とかしちゃう現実離れした人に、そんなこと言われたくないわよ」
 面堂は可愛くない、と内心舌打ちした。妙な方向に手足を曲げたのは、一体誰だ。
「なんでそこまでこだわるんです」
「こだわらなくちゃいけないのは面堂くんよ。早く追いかけなさい。あたしのことはいいから」
 面堂はぐしゃっと頭をかき回した。オールバックでびしっと整えた髪型が崩れそうになり、面堂はいけないいけない、と櫛で髪を梳く。
「そんなにぼくにラムさんと諸星のやつを追いかけてほしいんでしたら、しのぶさんをヘリで病院に送ってから、すぐにここに戻ってきて追いかけますよ」
 そうすることで、しのぶさんの気が済むのならね。
「でもっ!その間にラムとあたるくんはっ!」
「ですから」
 面堂は溜息混じりにしのぶを遮る。しのぶは必死の形相をしている。
「どうしてそこまでこだわるんですか?」
 しのぶは口を開きかけて閉じた。どうもそれだけが理由ではない気がする、と面堂は訝しみながら、言葉を重ねた。
「………しのぶさんは。後悔、してるんですか?」
「してない」
 しのぶは即答する。面堂はだったらなぜ、と沸き上がる理不尽な思いを抑え込んだ。しのぶが躊躇う様子で口を開いたからだ。
「…あのね。面堂くんが後悔しないようにラムを追いかけてほしいって思うのよ。本当に」
 ただ、それにはあたしの勝手な願いみたいなのも…あるんだけど、としのぶは面堂を見上げる。目が合うとしのぶはまた、赤茶色のタイルへと視線を落とす。腫れ上がった踝を見つめて撫でる。
「こうやって四人で遊べるのって、たぶんもう、あんまりないんだろうなって思って…」
 この前の金曜、進路希望調査書を書いたでしょ、としのぶが呟く。そう言われて面堂は思い出した。貴様ら今すぐ書け、そして今すぐ提出しろ、おれが貴様らの無謀で浅はかな高望みを懇意丁寧、親切に綺麗さっぱり忘れ去らせてやるからな、などと温泉マークが高笑いした週末のホームルーム。ブサイクな男の不愉快な言動に、面堂は胸がむかむかとした。何が高望みだ。ぼくほどの実力(とコネ)があれば、ハーバードもイェールもプリンストンも…以下アイビー・リーグのどこだって、もしくはオックスフォードもケンブリッジだって楽々入学卒業そして院にも進めるだろう。ぼくが望みさえすれば。
「…それで、みんなどうするんだろうって思ったら…」
 しのぶがポツリと呟き、面堂は己の世界から引き戻された。しのぶは右の足首をゆっくりとさする。視線はじっと足首から動かない。
「卒業したら、進路がばらばらになるのは仕方ない。当然のことよね。でも、きっと進路だけじゃない。卒業したら、こういう繋がりも……繋がりって言うほど、強いものじゃないし。きっともう、四人で遊ぶことなんてないんだわって、寂しくなっちゃって」
 しのぶは顔を上げると、自嘲するような翳った笑みを浮かべた。
「こんな足でバカみたいだけど、みんなと一緒にいられる時間が大切なの。みんなに迷惑かけちゃうってわかってるけど、少しでも長くみんなといたいなって…」
「今と同じくらいの頻度で四人の都合をつけるのは難しいと思いますが、会おうと思えば会えますよ」
 優しく声をかける面堂に、しのぶは弱々しく微笑む。無邪気な子どもが儚く甘い、残酷な夢を語るのに、哀しい気持ちを胸にして耳を傾ける大人のような表情。
「会おうと思えば、ね。きっと思わなくなるわ」
「しのぶさんは会いたくなくなると思うんですか?」
 しのぶは首を振る。
「あたし以外のみんな。ラム、あたるくん、そして面堂くん。あなたも」
 そんなこと、と面堂は笑いかける。しのぶを安心させるためにも、少しおどけてみせる必要があるかもしれない。道化を演じるのは気が進まないが、必要とあらば致仕方あるまい。
「そんなことありませんよ。だいたいしのぶさんだって言ってたでしょう、ぼくはラムさんが来るからこうして…」
「あなたがラムを諦めたら、もうそんなことはなくなる」
 しのぶはきっぱりと言った。面堂は戸惑い、否定しようとするも、そんなことはない、と断言する自信がなかった。
「面堂くん。ラムがいつまでも振り向かなかったら、いつかきっと、あなたはラムを諦める。そしてラムと同じくらいか、それ以上の素晴らしい女性を見つけて、あなたはあなたの人生を謳歌するんだと思うわ。それでいいのよ」
 しのぶはまた俯いた。面堂は小さく背中を丸めて足首をさすり続けるしのぶをじっと眺める。ラムさん以上の素晴らしい女性?そんな女性にお目にかかれるとは、どうしても思えない。そんな女性がこの世に存在するとも思えない。
「それでいい、と思われているようには聞こえませんが」
「面堂くんは、同じクラスになったからこうして気軽にお話できるのよねって、改めて気がついたの」
 そう思っている割りには、普段、ずいぶんと冷たい態度を取ってくれている。
「本当なら、あたしなんか手の届かない人なのよね。住んでる世界が違うって、この前まですっかり忘れてた。面堂くんが優しいから、つい、当たり前のようにクラスメイトだって思ってたけど。でも違うのよね。高校卒業しちゃったら、面堂くんは、あたしなんか考えもつかないような道を進んでいくんでしょうね。そしてあたしなんかが考えもつかない世界……もともと面堂くんの住んでる世界で暮らしていくのよね。……そう考えたら」
 面堂は胸の奥の方がじわじわと暖かくなってくるのを感じた。胃の底が、柔らかい毛でこしょこしょとくすぐられているかのようにくすぐったい。面堂はそわそわとしながら、しのぶの足首を見た。しのぶが手で覆うようにさすっているせいで、よく見えないが、どうやら赤から黒に変色しつつあるように見える。
「しの、」
「そうなったら、あたし一人だけでラムとあたるくんの二人の後にくっついて回る、なんてできないわ。いつまでもラムとあたるくんのお邪魔虫やってるわけにはいかないもの」
 なんだ。結局それか。しのぶのどす黒く染まった足首を見て、眉を寄せる。早く病院に連れて行かなければ。わかっている。連れて行かなければならないことは。だけど、ちょっと…。
「しのぶさんは、やっぱりまだ、諸星のことが…?」
 しのぶはそれまでの神妙な表情とは代わってきょとん、と目を丸くし面堂を見る。と、勢いよく噴き出した。
「まっさか!そんなわけないじゃない!」
 どこをどう聞いたらそうなるのよ、としのぶは腹を抱えて大笑いする。面堂は目の前で大笑いされる、という居心地の悪さを感じた。どこをどう聞けばって、全部を全部聞いたから、そう思ったのではないか。
「あーおっかしい!相手の気持ちがすっかりないのをわかってて、ずるずる実のない片思いを続けるほど、あたし、執念深くないのよ!ま、誰かさんはずいぶん執念深いみたいですけど!」
 けらけらと笑い続けるしのぶの目尻には、笑いすぎて涙が浮かんでいる。すっかり陽気に、ご機嫌になったしのぶは脇に置いたトランシーバーの存在を忘れているようだ。面堂は素早くそれを拾い、サングラス部隊に無線を飛ばした。
「あー、あー、あー。ぼくだ。面堂家次期当主、面堂終太郎だ。今すぐここにヘリで迎えに来るように。しのぶさんが足を負傷した。その手配もするように」
 いいな、と念押しすると、面堂は無線を切った。振り返るとしのぶが悔しそうな顔をしている。
「ずるいわ、面堂くん」
「ご存じなかったんですか?ぼくはずるいんです」
 普段の面堂らしからぬ軽口に、しのぶは目を丸くする。
「いったいどうしたの?面堂くん」
 怪訝な表情になるしのぶに、面堂は心が浮き足立つのを感じた。女性に優しくすることは非常に心地よいことだが、少々意地悪くからかってみるのもまた、大変心地よいことなのだと知る。これでは諸星の悪趣味を責められんな。面堂はこっそり苦笑する。
「しのぶさん。ぼくは執念深いらしいので、覚悟した方がいい」
「え?」
「執念深いって、しのぶさんが言ったんですよ」
「それって…」
 面堂は白い歯をきらっと爽やかに光らせると、頭上から轟音をたてて近付いてくるヘリコプターの方へ向き直り、手を振った。
「おーい!ぼくはここだ!ここだっ!ぼ・く・は・こ・こ・だっ!!」
 ヘリコプターは低空飛行で旋回している。どう考えても、ヘリコプターから身を出すサングラス部隊の目に、面堂としのぶの姿は映っていると思われるのだが、なぜだか彼等は「いったい若はどこにいらっしゃるのか…」と辺りを見渡している。面堂は肩を怒らせ怒鳴った。
「ここだっちっとろーがっっっ!!」

 サングラス部隊によって手配された面堂家お抱えの医師が、ヘリコプター内でしのぶを診たとき。しのぶの右足首は、タコ墨に漬けたかのようにドス黒く染まり、しのぶの顔は茹でたタコのように赤かった。
「はて。捻挫から熱でも出たかな…」
 顎をしゃくる医師に、医学の知識のないおぼっちゃまが、僭越ながら、という断りもなく自信満々で答えた。
「それはない、とぼくが保証する」
 なぜそんなことが断言できるのだこの若造は、と医師は心の内で毒づいた。が、口にはしなかった。面堂家の若様のご機嫌を損ねるほどの利など無い上、もしかするとこのクソ生意気な若造の独断が間違いではないかもしれないような気がした。
 ブロロロロロ…。旋回する音に掻き消されそうになりながら、ヘリコプターの中ではサングラス部隊のうちのある一人の趣味、ディズニー・オルゴール・シリーズがバックミュージックとして健気に頑張っていた。只今上空、面堂家ヘリコプター内で流れている曲は、白雪姫の『いつか王子様が』。オルゴールの可憐な音色が謳います。



-end-


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