しあわせなこいびとたち、たとえばその一例



 顔立ち、とてもよろしい。
 日に当たるとキラキラと赤い瞳は、ルビーのように輝いている。色素の薄い肌は、そうね、すこし軟弱な感も否めないけど、スベスベと陶器のようで、中性的で。ほら、男の人の突然の顔のどアップって、伸びかけの髭がチラホラとか、よく見ると毛穴が、とか、なんだかちょっとご遠慮願いたいというか、生理的嫌悪というか、ウっと吐き気を催すことってあるじゃない。顔立ちがキレイであればあるほど、落胆も大きいというかんじなんだけど、彼は違うわ。憎たらしいくらいスベスベのつるつるで。一体どんなケアをしてるんだか。染み一つもないなんて。
 まばゆい日の元では、貴な鳶色に透けて見える髪も、穏やかで柔らかい笑顔によく合っているし、とってもとっても素敵だわ。
 どんな服でも着こなせそうな線の細いルックスも、肩幅は広いし適度な筋肉がついていて細いだけのガリガリではないし、実は胸板も厚いということも知ってる。そこいらじゅうの若者達と同様の流行のスタイルにのることであえて他との格差を見せつけたりだとか、姿形がよくなければまるでコントのようになってしまうフォーマルをさらりとモノにしたりだとか。ウサギの着ぐるみ以外でその均整のとれたルックスが生かされたことを、残念なことにまだあたしは見たことがないのだけれど、白くてフワフワ、柔らかなウール100パーセントの白ウサギの着ぐるみを、可愛らしく精悍で、品よくクラシカルでトラディショナルに。と、あれほど完璧に着こなせる人は因幡さん以外にいないわ。
 そして誰より何より、あたしを愛してくれる。心の底から、あたし以外の誰も見ていないというくらいの盲目っぷりで、だけどあたし以外の人に傍若無人に振る舞ったり無関心に非道なことをするわけでもなく、ただただ穏やかで優しくて、おおきな人だと思うわ。



 真夏の炎天下。今日の最高気温は37度らしい。天気予報を思い出しながら、あたしは額から滑り落ちる汗をハンカチでぬぐう。待ち合わせ十分前に、と待ち合わせの時計塔に向かうと、真っ白でふかふかツヤツヤの、毛並みのよい白ウサギさんが立っていた。
 あたしに気付いた白ウサギさんがブンブンと手を振る。
「しのぶさんっ」
 にこにこにこ。邪気のない満面の。
 因幡さんの笑顔は子供のように純粋。見ている人をとても幸せな気分にさせる。それを証明するかのように、白ウサギのヌイグルミを着て時計塔の前に立つ因幡さんを、過ぎゆく人々は指さして口元に笑みを浮かべている。あそこのカップルなんて、因幡さんのボンボリのような可愛らしいシッポがぴょんっと飛び跳ねたのを見て、大きな口をあけて幸せそうに笑った。
 そうよね。あの白くてまあるい、ふわふわのシッポが飛び跳ねる様は、何度見ても心躍るわよね。ああ、あなた達にもわかるのね。もちろんそうよね。因幡さんって人は、その人柄を全面に押し出して、まだ話したこともない人々を幸福にしてくれる、天使のような人。ねえこの素敵な人は、あたしの恋人なのよ。いいでしょう。
 通り過ぎるたび、首が千切れそうなほど振り返って因幡さんを羨ましそうに眺める人達に、あたしは自慢するかのように微笑みかけた。因幡さんが待っていたのは、他の誰でもない、あたしなのよ。
「ごめんなさい、待った?」
「ぼくが早く来すぎたんです」
 因幡さんが頭をぷるぷると振って、中央時計をモコモコの丸まった手で指さす。白くて長い耳も一緒にプルンプルン揺れている。まあなんて可愛らしい。
「ほら、まだ約束の十分前です」
「あらほんと」
 うふふ、と笑うと因幡さんもえへへと笑う。
 うふふえへへ。明るい真昼の日差しがあたりを白く照らしている。
 うふふえへへうふふえへへうふふえへへうふふえへへうふふえへへうふふえへへうふふえへへうふふえへへうふふえへへうふふえへへうふふえへへうふふえへへうふふえへへうふふえへへうふふえへへうふふえへへうふふえへへうふふえへへうふふえへへうふふえへへうふふえへへうふふえへへうふふえへへうふふえへへ…。
「とっところで、ゼエ、ハア。今日はどちらへ、ゼエゼエ」
「ええ、ゼエ、ハア。面堂くんからいただいた、ゼエ、ハア。テーマパークのチケットがあるの。ゼエ」
 ああ困るわ。因幡さんといるとあまりに幸せで、ついつい笑ってしまって、どこで息継ぎをしていいかわからなくなってしまうの。
 因幡さんは肩を上下して額の汗をぬぐっている。赤く染まった頬とキラリと光る汗と白い歯。なんて素敵なのかしら。
「ああ!動物園と遊園地が隣りあっている、あの“面堂パーク”ですね」
 ようやく呼吸の落ち着いた因幡さんがキラキラと赤い目を輝かせて笑う。ずっと行きたいと思っていたんです、と言う因幡さんの笑顔に、あたしの心臓はキュンキュンしめつけられる。
「それはよかったわ」
 にっこりと微笑んで小首をかしげ因幡さんの手をとると、因幡さんはボンっと音を立てて、それまでも真っ赤だった顔をさらに真っ赤にした。そして「行きましょうか」と促すとピョーン、と時計塔の上に達する素晴らしい跳躍力を見せてくれた。この芸術的な跳躍を、周りの人々は足を止めて賞賛の拍手と共に眺めた。
 本当に、因幡さんほど素敵な人なんて、いやしないわ。
 因幡さんは、ウサギ顔負けのジャンプのあと、ぐしゃりと地面に着地した。死んだフリまで演じるなんて、芸が細かいわ。諧謔精神に満ちているって素晴らしいことよ。

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 一目で恋に落ちた。
 行き倒れていたぼくに、スーパーで買ったばかりのにんじんをくれた。心優しく美しい、運命の女性。
 いつでもぼくの行く先を照らし出してくれるしのぶさん。運命製造管理局員として認められるか否か、さらに言えばぼくの男としての沽券をかけた、大事な昇級試験は、しのぶさんの精神的、物理的な支援があったからこそクリアできた。ぼくはしのぶさんを守るどころか(誤解とはいえ)悲しませてしまったわけだけど、しのぶさんはそんなぼくに、ぼくの摘んだ花束を抱えて嬉しい、と言ってくれた。
 肩を並べると、頭一つ分低いしのぶさんが隣りにいて、華奢な肩までのまっすぐな黒髪からほんのり桃色の頬がのぞき、つい見とれてしまう。はかない可憐さに息をするのも忘れてぼうっとなっているぼくに気付くと、しのぶさんは小首を傾げて、ぼくをちらりと見上げて微笑む。それから小さな手でぼくの手を力強く引っ張ってくれて――ぼくの体はしのぶさんの手に引かれてグラリと前に大きく傾ぎ、足はダンスを踊るようにやたらめったらステップを踏む――「まあ因幡さん。よそ見していると、電柱に頭ぶつけるわよ」と諭してくれる。しのぶさんの小さな赤いクチビルが動いてぼくの名を呼ぶことが嬉しくてこれ以上ないくらい幸せで、頭のてっぺんまでかあっと熱があがりぼうっとしてしまう。あんまりに幸せで頭のてっぺんまで熱がゆくものだから、いつの間にか世界が暗転していて、気がつくとしのぶさんが心配げにぼくの顔を覗き込んで、「大丈夫?因幡さん」とぼくの額に手を当てる、ということもしばしば。しのぶさんの甘い吐息が頬にかかるのに、ぼくはまた幸せでうっと息の詰まりそうなのをこらえると、しのぶさんは困ったように微笑んで「だから前を見てって言ったのに。電柱にぶつけたところがコブになっちゃったじゃないの」と口元に手を当ててコロコロと言う。しのぶさんからは甘い花の香りがする。
 しのぶさんは仏滅高校の総番だとかいう化け物を宙に投げ飛ばすときも、神出鬼没に現れてはベッタリと張り付くあたるさんを引きはがすときも、気合いの入った掛け声を大きくはり上げ、細い足をしっかりと地につけ、もしくは片足で大きく地を蹴りつけ反動を生かしスカートの裾を大きくはためかせて、きりりと厳しい決意を示す目元は凛として、まるで女神のようで。一仕事終えてバキバキと指を鳴らすしのぶさんの指は、柔らかい硬質の木琴を奏でる音楽家の指。
 弱いものには躊躇わずに手を差しのべる優しさと強さ。凛とした立ち振る舞いにのぞく、温かくて可憐な笑顔と、寂しげな憂いを帯びた横顔。
 しのぶさんの全てがぼくの運命の鐘を鳴らし、ぼくの全てはしのぶさんのために。しのぶさんが側にいてくれれば、ぼくはどんなことだってできる。



「まずは動物園に入りましょう」

 動物園と遊園地と。入場ゲートが右に左に分かれていて、休日の人混みはぱっくりと真ん中で分かれて流れていく。ぼくは右と左のどっちの流れにのるべきか、肩や背中を押されながらうんうんと悩んでいた。
 しのぶさんの小さな体がどんっと強く押されてよろける。ぼくは咄嗟に腕を広げてしのぶさんを支えると、しのぶさんは恥ずかしそうにぼくを見上げて微笑み、ありがとう、と言った。ぼくは顔が真っ赤になるのを感じながら、しどろもどろに言葉を繋ぐ。
「あの、えーと。しのぶさんは動物園と遊園地、どっちに入りたいですか?」
 しのぶさんはそうねえ、と小首を傾げて考えている。すっぽりと腕の中におさまるしのぶさんを見下ろすと、しのぶさんは額に汗を浮かべていて、暑いのだろうな、と思った。何しろぼくの着ている運命製造管理局員の制服は夏服・冬服関係なくウール100%のヌイグルミだ。だけど腕に置かれたしのぶさんの白い右手をぼくから振り払うことなどできるはずもなく、後ろを行く両親から離れ、しのぶさんを押しのけたことにも気付かずきゃっきゃっと遊園地に突進していく無邪気な子どもに感謝していた。
「うーん…。遊園地…は先に入っちゃうと疲れちゃうかもしれないわね」
 ジェットコースターもたくさん乗りたいし、そうしたら疲れて動物園はまた今度ってことになっちゃいそう、と言ってしのぶさんはぼくから離れて動物園の入場ゲートを指さした。ぼくは離れていったしのぶさんの残り香を寂しく思うとともに、「ジェットコースターもたくさん」の言葉におののいた。暑い暑い日差しの下で、ぼくは背筋がゾっと冷たく凍るのを感じた。

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「おいしい!おいしいです!」
「そう。よかったわねえ」
 目の前に広がるメルヘンチックな世界に思わず頬が緩む。ガツガツとニンジンを無心で齧る因幡さんの周りには、白・茶・グレー・マーブルの様々なウサギさん達が小さな鼻をひくひくさせて、因幡さんと同じようにウサギを齧っている。手作りのぬくもり溢れる木囲いの中は、まるでピーター・ラビットの世界に出てくるような穴蔵があって、愛くるしいウサギ達と因幡さんはその穴蔵の前でおいしそうにニンジンを齧っている。童話の世界に迷い込んでしまったのかしら、と錯覚してしまうほど、ああ!まるで、まるで、全てがおとぎ話のようで。昔読んだ絵本の世界。女の子の見る夢や憧れが、ここにあるのよ。でもこれは現実なの。そしてこの夢の世界への案内人、因幡さんはあたしの恋人。なんて素敵なのかしら!
「因幡さん」
 この素敵な人はあたしの恋人なのよ、と周りの人達に自慢するかのように因幡さんに手を振ると、夢中でにんじんを齧っていた因幡さんは顔をあげて、あたしに笑いかける。額を伝う幾筋の汗がお日様の光でキラキラ光る。
 その爽やかな笑顔にくらくらしながら、周囲を見渡してみる。
「ねえ、ママ。すごいよ!大きなウサギさんがいるよ!」
「しっ…!見ちゃいけません!」
「だって、ママ!あのウサギさん、パパとおんなじくらい大きいんだよ!それにエプロンもつけてる!どうしてだろう?」
「だからダメって言ってるでしょっ!!トン子ちゃん、もう行きましょう!あっちにはトン子ちゃんのだ〜い好きなブタさんがいるわよ。ブヒッブヒッって。可愛いわよお〜。ねっ!?」
「やあだあ〜!ウサギさん、もっと見たいよう!マ〜マア〜…」
 思った通り、身を乗り出さんばかりに、メルヘンな光景に見入ってる人達がたくさん。あたしまでどこか誇らしい気分。中でも、絵本の中で見るような夢のような光景を目にした女の子は、因幡さんを指さして目をまん丸くしている。きっとあんまりにも夢みたいで素敵な光景だから、びっくりしたのね。女の子の目は因幡さんに釘付けだったけれど、女の子のお母さんらしき女性が、あたしに遠慮して女の子を引っ張っていった。女の子の駄々をこねた、ぐずついた声がフェードアウトしていく。
 恋人達の語らいを邪魔してはいけない、と思ったのかしら。あたしは全然構わないのに。だってそれはこんなに素敵な恋人を持つあたしの使命でもあると思うの。このすばらしい夢の世界を、一時だけでも味わってもらえたら、日常の憂さを忘れてもらえたらと思うもの。ああそれとも、この素晴らしいおとぎの世界をずっと見ていたいけれど、目の前の光景が素晴らしすぎて、なかなか日常の世界に戻りたくなくなってしまうから、足を抜け出せなくなる前に今のうちに、しぶしぶということなのかしら。その気持ちはわからなくもないのだけど。でも…それはごめんなさい。因幡さんを譲ることは、どうしてもできないわ。
「しのぶさん。しのぶさんも一緒に食べませんか」
 因幡さんはニンジン片手にぴょこん、と長い耳を揺らす。
「あたしはいいわ。こうやって、因幡さんを見ているのが幸せなの」
「そ、そうですか」
 うふふ、と笑いかけると、因幡さんは照れたように頭をかいた。
「ぼくだけがこんなにおいしいニンジンをいただいちゃって、なんだか申し訳ないなあって思ったんですけど…」
「いいのいいの。ね?あたし、おいしそうにご飯を食べる因幡さんを見るのが好きなの」
 因幡さんはかああっと顔を真っ赤にすると、がむしゃらにニンジンを齧り始めた。
 おいしそうに食事をする男の人は素敵。食欲旺盛の食べ盛り、という男の人の食べっぷりを愛しく思わない女はあまりいないと思う。
 ああでも因幡さんの食べている橙色のニンジンは無農薬かしら?動物園の飼育係が動物たちに与えている野菜は、ちゃんとした、遺伝子組み換えでない、日本産のものなのかしら?それだけが気がかりよ。
 遠くから、なにやら動物園の飼育係の声する。高らかで揚々とした声の調子から察するにきっと、メルヘンな世界にマッチした因幡さんへの感謝の言葉ね。

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「まったく!全然、ちっとも納得いかないわ!」
 ぼくの隣りには憤慨した様子のしのぶさん。長蛇の列の最後尾についてから、だいたい三十分が過ぎたところだ。目の前にはジェットコースターのレールが仄暗いオレンジ色の照明に照らされ、ぼくの目前に迫っているし、ガタガタというジェットコースターがレールの上を走る音も、落下の恐怖に悲鳴をあげる乗客の声も洞窟の向こう側から聞こえてくる。ごおごお、という水の流れる音に、ばっしゃーん、という派手な水音。
「ぼ、ぼくは全然気にしてませんから」
 動物園を出てから(正確にはウサギ小屋を追い出されてから)ずっと、しのぶさんはぼくのために憤ってくれている。ぼくの目の前では、滑り出ていくジェットコースター。この一台が出発してしまえば、次はぼく達の乗る番だ。
「まったくひどい!面堂くんは、なにをしているのかしら?社員教育がなってないわ!まったく、なっちゃいない!」
「あ、あの、しのぶさん。ぼ、ぼぼぼぼくは、本当に気にしてませんから」
 ああ、ぼくの前の一台がとうとう出発してしまった。不気味な見えない力に引き寄せられていくかのように、すーっとレールの上を滑っていく。黴臭い匂いが充満しているのが強く感じられる。
「因幡さんは本当に優しいのね」
 しのぶさんがふとぼくの方を振り返って、微笑む。ぼくの心臓がジェットコースターの恐怖ではなく、どきりと高鳴る。
「でもっ!」
 キッと目を吊り上げると、しのぶさんは拳を握って、前方を睨んだ。しのぶさんの視線の先には、小さな光の点があり、その先からは身をひきちぎられたかのような、恐ろしい断末魔の悲鳴が濁流音に遮られながら聞こえてくる。
「こんな横暴、いくら面堂くんでも許し難いわよ!」
 するするとぼく達の目の前に到着したジェットコースター。ガタガタン、キキイ、とぎこちない動きで停止する。ぼくとしのぶさんの前に並ぶ人は誰もいない。
「芸術を解することのできない野暮な人を雇うような…!そんな無粋な人だとは思わなかったわ!」
 しのぶさんは憤りながら、到着したジェットコースターの手すりに掴まり、一番前の右側の席に乗り込む。ぼくもしのぶさんに続いて、そろそろと足を踏み入れる。てすり部分が水に濡れて湿っている。感情を高ぶらせるしのぶさんの声が、どこか遠くに感じる。
「ねえっ!そうでしょう!?」
 ガチャン、とセーフティーバーがしのぶさんとぼくの腹部を押さえつける。薄ボンヤリとした橙色の明かりの洞窟を抜けた、白い光の先から、むっと熱せられた風が吹きこむ。
「因幡さんもそう思うでしょ!?ねえっ!?どうなのよ?因幡さんっ!」
 そして真っ赤な口を開けて待ちかまえる地獄へと飲み込まれていくのは、ぼく達をのせたジェットコースター。

 かたかたかたかたかた、と大きく後ろに仰け反った形のまま、レールを上がっていく。時折不自然な動きで台車が軋む。
「ひっ!」
 ぼくの目の前にあるのは、ただ、真っ青な空とのんびりと浮かぶ白い雲。びゅうびゅうと容赦なく頬をきる風を想像する。
「ほんとうに納得いかないわっ!ねえっ!?」
 突然ガタっと止まる。まるで世の中の全ての音がブラックホールに吸い込まれたかのような静寂。ゆっくりとしのぶさんの方を振り返ると、しのぶさんは眉を吊り上げた。
「因幡さんも、そう思うで、」
 ガタッ、ぐらり。
「ヒィィッ!!」
「っしょおおおおおおおおおお〜!きゃっはあっ!いやあっほお〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
「うっぎょえあああああああああああ〜〜〜〜〜!」
 大きく前方に体が傾ぎ、ぼく達は真っ逆さまに落ちていった。

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 真夏の遊園地で被り物の仕事とは、若も人使いがあらい。だいたいタコの着ぐるみとは、若のセンスには時折、首を傾げたくなることがある。
 もうダメだ。もはや虫の息で、暑さに意識が朦朧としている。手には残り二つの風船。とっとと配り終えて仕事から解放されようと、汗くさい着ぐるみから狭い視野で子どもを探していると、ヨロヨロとした足取りの、白ウサギの着ぐるみを着たお仲間が見えた。
 なんでヤツの着ぐるみは若の溺愛しているタコではなく、白ウサギなんだ?タコよりマトモな着ぐるみなんてズルイ。贔屓だ贔屓だ!おれだって、子どもにバカにされたり泣き叫んで逃げられたりするタコより、愛らしい白ウサギの着ぐるみの方がよかったもんっ!若のばかっばかっ!意地悪うっ!
 キイッと、悔し涙を流し、ヤツを睨む。と、よく見れば、ヤツの手には風船がない。おれは決意した。配り終えたところ悪いが、一つ風船を配ってもらおう。愛らしい白ウサギの着ぐるみなんて贔屓されてるヤツに比べて、不気味なタコの着ぐるみのおれのハンデだ。

「うっぷ」
「大丈夫?因幡さん」
「は、はい。だいじょう…おええっ」
「ごめんなさい…!ジェットコースター連続五回も、つき合わせちゃって…」
 楽しくてつい…、と涙ながらに白ウサギに謝る少女。そりゃ着ぐるみにジェットコースター五回は厳しいだろう。お仲間は「大丈夫ですから…」と全然大丈夫じゃない弱々しい声で言う。
 なんだ?あの野郎は仕事中にあの子をナンパして、ジェットコースターに乗ってたっていうのか?
 愛らしい白ウサギの着ぐるみだからって、ズルイぞ!タコの着ぐるみなんて不気味だって女の子から逃げられちゃうんだぞ!
 ちくしょう…!こうなったら…こうなったら…。風船、二つとも押しつけちゃうもんね!仕事押しつけて、女の子との仲を引き裂いちゃうもんね!
「よお!」
 片手をあげてお仲間に声をかけると、お仲間と少女はビックリした顔でおれを見た。ちょっとちょっと、とお仲間を手招きすると、ヤツは素直にこっちへきた。青い顔でヨロヨロしたって、おれは同情なんかしてやんないもんね!一人だけいい思いしやがってええ!
「ちょっとお前、仕事中になにサボって女の子ナンパしてんだよ」
「はい?」
 ボソボソと耳打ちすると、白ウサギの野郎はすっとぼけて聞き返してきやがった。コイツめ!
「いくら風船配り終えたからって、仕事中にナンパなんて、若にいいつけちゃうぞ!」
 そうだそうだ、言いつけちゃうぞ。
「あの、ぼくは今日、有休です。しのぶさんとデートするために、有休をとっ…」
「ウソをつくなっ!今日みたいなイベント日に若がおれたちに、有休なんかくれると思うかっ!?あの人使いのあらい若がっ!そのくらいのウソを見抜けないおれじゃないぞっ!」
 この野郎、つくならもっとマシなウソをつきやがれ。若がおれたちに、休暇を…それも“有休”なんてくれるわけがなかろう!
 しかし白ウサギは性懲りもなく、青い顔でオロオロと反論してきた。
「そ、そんなこと言われましても…。ぼくは事実、有休をいただきましたし…。お土産を買ってくるなら休んでもいいね、と言っていただいたので、しのぶさんと一緒にタコ饅頭をこれから買いに行こうかと…」
「ええい、しつこいぞ!若にバラされたくなくば、この風船を配ってこい!いいな!」
 おれはヤツにピンクと黄色の風船を押しつけ言い捨てると、ダッシュしてその場を去った。いい気味だ!へっへ〜んだ!

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「なんだったの?」
 二つの風船を手に、とぼとぼ歩いてくる因幡に、しのぶはぴょこん、と小首を傾げた。
「はあ…。なんだかよくわからないんですが、この風船をくださるそうです」
 因幡は先程より幾分マシになった顔色で答えた。
「まあ!親切な方ね!」
「ええ。…はい、しのぶさん」
 因幡は嬉しそうに微笑むしのぶに、ピンク色の風船を手渡した。
「ありがとう。……あの、ごめんなさいね」
 なにがですか、と不思議そうにする因幡に、しのぶは表情を曇らせた。
「あたしの我が儘につき合わせちゃって…。あたし、因幡さんがジェットコースター苦手だったなんて、知らなかったの…」
 一度おさまった涙をぶわっと浮かび上がらせるしのぶに、因幡は慌ててわたわたと手を振り回した。しのぶはヒックヒックとしゃくりあげ、細い肩を震わせている。
「あのっ!ほんとうに全然、気にしないでください!ぼくだって運命製造管理局員の端くれです。ぐるぐると螺旋を描く異次元を自由に行き来できる者として、ジェットコースターくらい!」
 でも…、とイヤイヤをするしのぶに、因幡はきりっと顔をひきしめる。因幡は意を決して、しのぶの肩をがしっと掴んだ。
「ぼく、嬉しかったんです。今日、初めて、その、しのぶさんと二人きりで、ラムさんやあたるさんに邪魔されることなく、ちゃんとしたデートできて…。それなのにぼくの方こそ、ジェットコースターくらいで…情けなくって」
「そんなこと!」
 しのぶが勢いよく顔をあげると、苦笑していた因幡と目があった。
「そんなこと…ないわ。あたし…、あたしも因幡さんと一緒にいられて…」
 しのぶは頬をピンク色に染め上げ、言葉を詰まらせた。因幡はにっこりと幸せそうに笑った。
「じゃあ、もう泣かないでくれますね?」
 こくん、と頷くしのぶの頬に、因幡は素早くキスをした。
「い、因幡さん…!」
「す、すみません…!」

 真っ赤になって見つめ合う因幡としのぶの周りには、園内に解き放たれた幾匹ものタコと、それらを捕まえようとするサングラス部隊プラス、タコの着ぐるみを被ったサングラス部隊が奔走していた。真っ赤な夕焼けを背景に、カラスがアホーアホーと鳴いた。



-end-


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