カナダからの手紙



拝啓
 春爛漫のみぎり、日本ではおそらく、満開の桜の花が皆様のお目を楽しませていることだろうと偲ばれます。もちろん竜之介くんをはじめ、藤波家の皆様、ご清祥でお過ごしのことと思います。お慶び申し上げます。(それ以上に「お慶び申し上げる」ことはあるんだけど!)
 私も日本の春を満喫したいわ。だって日本人ですものね。桜の散らぬうちに(ちょっぴり不吉な言葉を使ってごめんなさい。受験生はいないわよね?)日本に、友引町に一度戻れたら、と思うのですけれど、どうもそうはいかないみたい。世の中ってままならないものね。まったく口ばかり達者で甲斐性なしの上司がいると、仕事が進まなくって苛々しちゃう。まあ、これも修行のうちってとこかしら。
 前置きが長くなってしまいました。これが私の悪い癖です。肝心要の主題に入る前にだらだらと。職場でもプライベートのおつき合いでもそう。私も上司のことを言えないわね。いつもお小言をいただいているのに、昔っからちっとも直りません。竜之介くんも昔、よくそんなにベラベラと話が途切れないもんだ、って呆れ顔だったわね。今でもよく覚えています。だって、あなたのそのときの呆れ顔ったら、本当に心底うんざりって表情だったんだもの!忘れようにも忘れられないわ!私、そういうことは絶対に忘れないの。今度私の前でうっかり失言をしそうになったら、気をつけたほうがいいわよ。
 また脇道に逸れてしまいました。きっとこの先も、あっちそっちとお話が逸れていくだろうと思います。ご容赦くださいね。竜之介くんならきっと、仕方ねえなあ、とあの呆れ顔で許してくれるものと信じています。
 さてさて、このたびはご結婚おめでとうございます。(こんなに大事なお話を、ここまで延ばし延ばしにしてしまう自分に呆れてしまうわ!)お相手はもちろん渚さん。長らくの交際を経てゴールイン、とまあ、おめでたいことで。まさに運命に導かれた出会いよね。生まれる前から許嫁られた、それも一度は鬼籍に入った女らしい男の人とだなんて!
 ここでちょっと竜之介くん(奥様になられた方を「くん」づけはないわよね。でも今更竜之介「さん」なんて呼べないの)は、顔をしかめているところじゃないかしら。眉間に皺を寄せた竜之介くんの顔がはっきり、すぐそこ目の前に見えるようです。この謎はまたあとで。
 式や披露宴は行わないと伺いました。こうしてお二人が結ばれるまでには、紆余曲折の多かったこと。私も、海を越え遠い地におりながらも耳にしていましたので、そのようにご選択なされたこと、様々なお考えがあってのことだと思います。でもきっと、渚さんは残念がったことでしょうね!どうやって説き伏せたのかしら?なーんて邪推してしまいます。
 私も、ドレスやモーニングで飾らなくとも、お二人なら素晴らしい夫婦生活のスタートをきれると思います。幸せいっぱいの温かな家庭を(竜之介くんが昔、切実に欲しがっていたような)きっと築いてください。
 と、ここまでがお祝い。さてさて、ここからは恐怖の謎あかしです。竜之介くん、心の準備はいかが?いったんこの手紙を置いて、深呼吸したらどうかしら。ほら、一度、大きく息を吸って。吐いて。
 どう?準備はできた?さて、竜之介くんの準備が整ったところで話を進めます。だって実は、結婚祝いのためにこの手紙を書いているのではないのだもの!本当の目的はここからなんです。もう十分脅かすことができたかしらね。では言います。
 私はずっと、竜之介くんのことが好きでした。
 そうやって大仰に肩を落としたり(慣用句の遣いが間違ってる、なんて指摘はしないでね)、ズッコケたりしないで。言い訳はいいのよ、私にはちゃーんとわかってる。どうせ竜之介くんは「おれだってしのぶは好きだ」とかなんとか、この手紙に文句をつけてるんでしょう。お見通しよ。あなたの鈍感さには、ほとほと手を焼いてきました。正直言って、うんざりするくらいよ。もういい加減、ここらへんで言っておかないと、竜之介くんのことだから、一生気がつかないだろうと思うので、告白します。
 私はずっと、竜之介くんを「恋愛対象として」好きでした。これでわかった?竜之介くんが渚さんを好きなように、渚さんが竜之介くんを好きなように、そういうふうに、私はあなたを想ってきました。そうよ!私はずっとあなたが好きだったのよ!
 恋に疎い竜之介くんのこと。いつかはもしかしたら男の人に?なんて思うこともないわけではなかったけど、でも女の子のことを好きになるヒトなのかも!って期待した私を、誰が責められる?だから私はずっとあなたが振り向いてくれるのを待ってたのに。竜之介くんの一番の親友っていうポジションで、私はあなたが恋に目覚めるのをずっと待ってたのよ!
 そうよ、あなたは恋に目覚めた。そのお相手はとっても「女らしい」男の人の渚さん!ひどいじゃないの!あなたは私の気持ちなんて知らずに、なんだかんだ言いながらいつのまにか渚さんとくっついちゃった。その上竜之介くんったら、私に、この「あたし」に恋の相談なんてするんだから!だから私は耐えきれなくなって日本を離れ、この辺境の地に逃げてきたのよ!
 なんちゃって。それは嘘。まだまだ駆け出しの新米だけど、子供の頃から憧れていた、リベラルでオーロラの見えるカナダで働くことに、誇りと、そうね。大仰な言葉だけれど、生き甲斐を感じています(失恋の痛手を胸に抱きながらね!)
 なので、心の底からあなた達を祝福するには、実はまだ時間がかかりそうです。と、ここで手紙を〆にしたら、竜之介くん。あなたはさぞ真っ青な顔になるでしょうね。それはそれで見物だと思うのですけれど、でも安心してください。私にはもう、理知的なグレーの瞳と情熱に燃えるような赤毛の、とても美しくてチャーミングな恋人がいます。その上、とってもスマートでクールなんだから。おまけにセクシー。これ以上、望むものなんてある?(日本の文化や歴史、国そのものに、少しも興味を示してくれないところなんかは、ちょっと寂しいけど。でも私はめげたりなんかしないの。彼女に辟易されながら、今日も日本から取り寄せた雑誌をせっせと見せています。今は庭園シリーズよ!)
 竜之介くんが私を選ばないでくれて、彼女と出会わせてくれた神様に感謝しちゃう。その素敵な恋人と、私は幸せなパートナーシップを築いています。
 知ってる?カナダでは同性間の結婚も法律で認められているのです。そのために市民権や永住権を得ようとする外国人同性愛者カップルも多くいるのよ。これは私のような同性愛者にとって、大変なことです。子供の頃から憧れていたリベラルな国は、同性愛者の権利を認めてくれた!信じられないくらい幸福です。
 私達は、恋人同士のとろけるような甘い時間を思う存分、納得のいくまで満喫したら、竜之介くんと渚さんのように、いずれ結婚する運びとなるかもしれません。でも今は、この贅沢な恋人の関係に満足しています。お互いに夢や野望で忙しいこともあるしね。
 とまあ、惚気話で竜之介くんのお腹をいっぱいにさせたところで、そろそろ筆を置こうかと思います。
 どうしてせっかく話のまとまった、このお目出度い時期に、水を差すようなことを言い出したのかって、まだそんな疑問があるかもしれません。それこそが狙いです。上にも書いたでしょう?私はそういうこと……つまり、私が悲しい思いをさせられたことは絶対に忘れないって。要は復讐よ!とは言っても、あなたが私にしたような、残酷な仕打ちよりはずっと可愛いものだと思うのだけど。どうかしら?
 仕事が一段落して、お休みをいただいて日本に一時帰国して。そうして竜之介くん。あなたに会うことになったとき。あなたは一体、どんな顔をして私を見るかしら。罪悪感と悔恨?がちがちに緊張して引きつった顔?それとも何もなかったかのように振る舞うのかしら(でもそれは、あんまりオススメできません。なんて言ったって竜之介くんは嘘をつくのがとてもヘタですから。)
 それがとても楽しみです。間違っても嫌悪と侮蔑なんて酷いものが、竜之介くんの顔に浮かんでいないことを信じているわ。裏切られた、なんて罵声を投げかけるような竜之介くんじゃないわよね。
 それでは、竜之介くんと渚さん。お二人の輝かしい門出を祝って、今度こそ本当に筆を置くことにします。どうぞ末永くお幸せに。
かしこ
  四月吉日
三宅しのぶ
藤波竜之介様

-----

「なんだこりゃ」
 笑い出したいような、ずきっと鈍い罪悪感で申し訳ないような、でもやっぱり噴き出して笑い出したいような。竜之介は複雑に顔を歪めて、桜色のメッセージカードを見た。ちゃぶ台の上には、それと同じ色、模様の封筒と、これまた同じ色、模様の数枚の手紙。竜之介がヒラヒラと顔の前で泳がす、小さな小さなカードには、ほんの三行、文字が綴られている。
「竜之介さま〜。お味噌汁の味、これでどうかしら〜」
 台所から渚の、間延びした声が竜之介を呼ぶ。味の濃そうな、しょっぱい匂いが、そういえばさっきから竜之介の鼻先をかすめていた。竜之介は、こりゃ絶対に失敗作だな、と確信しながら腰をあげる。暖簾を手でよけ、ひょいと顔を出す。そして竜之介は、はっとした。
 竜之介の視線の先には、エプロン姿で玉杓子を手にした渚と、ぐっつぐっつぼっこぼっこ、と沸騰している味噌汁。沸騰した味噌汁、という光景だけならまだ、救いようがあった。が、渚の、おたまを持った手とは逆の、もう片方の手には…。
「渚てめえっ!何度言えばわかるんだっ!味噌汁に醤油は入れねえんだっ!」
 金切り声の竜之介に、渚はとぼけた声音で返した。
「ええ〜。だって、お醤油入れなかったら味がないじゃないのお〜」
 ぐつぐつと煮えたぎる味噌汁は、具も底も見えぬほど黒々としていた。竜之介はがっくりと頭を垂れた。
「もう二度と台所に立つな!おれが家事をするっ!」
「そんな!家事は嫁のつとめよっ!あたしに任せてちょーだいっ!」
「そうじゃ、竜之介。男子厨房に入るべからずだぞ」
 ひょい、とどこからか顔を出す父親に、竜之介の額の血管がぶちっと音をたてて破れる。
「おれは女だあっっっ!しかも親父!てめえだって、昔からずっと台所でおさんどんしてたじゃねえか!」
 顔を真っ赤にして絶叫する竜之介に、父親はいつの間にかボロ着姿となり、その裾の端をヨヨヨ、とくわえて泣いた。
「母のいないきさまを男手一つで育てるため、この父が、父が男の身ながら必死でまな板に向かっていたのを、竜之介。おまえは罪と責めるのか。血も涙もない、なんと親不孝な息子じゃ」
 竜之介は唇を噛みぶるぶると震え、頭を抱えた。そのわきでは、竜之介の父が渚に「お義父さまのご苦労は、竜之介さまもきっと、よおくご存知ですわ」と慰められている。竜之介の父は、菩薩のような笑みを浮かべる渚に「ほんっと〜によくできた嫁じゃ」と涙した。
 窓から春風が一陣。桜の花びらを一枚つれて入り込む。ちゃぶ台の上に置かれた、桜色のメッセージカードが畳の上にふわり、と舞いおちる。風にさらわれてきた花弁がその上に、そっと載った。

ラブレター フロム カナダ
あなたの愛を たしかめたくて
わがままばかり いいました

(平尾昌晃,畑中葉子,“カナダからの手紙”)



-end-


≪戻る